三国司家(読み)さんこくしけ

改訂新版 世界大百科事典 「三国司家」の意味・わかりやすい解説

三国司家 (さんこくしけ)

南北朝期から戦国末年にかけて,それぞれの国の国司として,領国経営を行った三家の総称。1548年(天文17)の述作という《運歩色葉集(うんぽいろはしゆう)》や《貞丈雑記(ていじようざつき)》などでは,飛驒国司姉小路氏,伊勢国司北畠氏,阿波国司一宮氏を三国司と称し,また合戦記ながら史料的価値も比較的高いとされる《足利季世記(あしかがきせいき)》では,姉小路氏,北畠氏に加えて土佐一条氏を挙げている。また江戸初期に成立した《甲陽軍鑑(こうようぐんかん)》などでは,伊勢伊予,奥州を称するなど,諸書によって異同がある。しかし最も一般的なのは《足利季世記》にいう三国司であろう。飛驒国司は建武新政に際して姉小路家綱が国司に就任して以来,天文・弘治(1532-58)のころまで継承されたが,以後断絶し,三木氏がその名跡を継いだ。しかし1585年(天正13)三木氏も金森長親に敗れて滅亡した。伊勢国司は,北畠親房の子顕能が1335年(建武2)に国司に就任して以来,永禄期(1558-70)まで継承されたが,1569年(永禄12)織田信長の侵攻に屈し,信長の次男信雄(のぶかつ)を養子とし,さらに76年三瀬御所(みせごしよ)北畠具教の暗殺によって族滅した。土佐国司は,応仁・文明の乱に際し一条兼良の子教房が土佐の家領幡多(はた)郡幡多荘に下り,さらにその子房家が国司を勅許されて以来,戦国末年まで継承されたが,内政のとき,長宗我部(ちようそがべ)元親に追われて滅んだ。伊勢国司北畠氏を例にとれば,伊勢南方五郡(度会多気飯野一志飯高)に対する事実上の半国守護職を基盤に権力中枢を一族で固め,土着の国人領主を軍役体系に編成する一方,本所(隠居後は御所)を称し,公家様式の花押を使用するなど,領国大名化しながらも最後まで公家階層への帰属意識を捨て去ることがなかった。すなわち三国司家は,国司制度の崩壊後なお国司を称し,有力公家のまま領国大名に転身した特異な存在であった。
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旺文社日本史事典 三訂版 「三国司家」の解説

三国司家
さんこくしけ

国司制度崩壊後も国司と称して,現地を領有した公家
飛驒の姉小路 (あねがこうじ) 家,伊勢の北畠家,土佐の一条家,いずれも国司から戦国大名化した。

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世界大百科事典(旧版)内の三国司家の言及

【土佐一条氏】より

…戦国時代土佐国に土着した公家一条家の一流,三国司家の一つ。1468年(応仁2)一条兼良の長子前関白教房が国人大平氏らの援助により家領幡多荘中村へ下向したのを端緒とし,開祖房家より房冬,房基,兼定,内政(ただまさ)と5代つづいた。…

※「三国司家」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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