三宅石庵(読み)みやけせきあん

百科事典マイペディア 「三宅石庵」の意味・わかりやすい解説

三宅石庵【みやけせきあん】

江戸中期の朱子学者。名は正名,字は実夫,通称新次郎。京都の人。浅見絅斎(けいさい)の門人中井甃庵(しゅうあん)らに推されて大坂懐徳堂(かいとくどう)初代堂主となった。書・和歌俳諧にも長じた。著書《論孟首章講義(ろんもうしゅしょうこうぎ)》など。子の春楼が跡を継いだ。
→関連項目土橋友直富永仲基三宅観瀾

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「三宅石庵」の解説

三宅石庵 みやけ-せきあん

1665-1730 江戸時代中期の儒者
寛文5年1月19日生まれ。三宅観瀾(かんらん)の兄。浅見絅斎(けいさい)に師事享保(きょうほう)9年門下生がひらいた大坂懐徳堂の初代学主となる。その学は朱子学,陽明学折衷で,鵺(ぬえ)学問と評された。書家としても名だかい。享保15年7月16日死去。66歳。京都出身。名は正名。字(あざな)は実父。通称は新次郎。別号に万年。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

山川 日本史小辞典 改訂新版 「三宅石庵」の解説

三宅石庵
みやけせきあん

1665.1.19~1730.7.16

江戸中期の儒者。通称新次郎,万年とも号す。京都生れ。弟の観瀾とともに浅見絅斎(けいさい)に師事。のち大坂で塾を開き,1713年(正徳3)安土町に多松堂を開設,有力商人を門弟に集めた。26年(享保11)五同志と呼ばれる商人らにより創設された学問所懐徳堂の初代学主に招かれた。学風は朱子学と陽明学をあわせた折衷的なもので,鵺(ぬえ)学問と評された。

出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報

367日誕生日大事典 「三宅石庵」の解説

三宅石庵 (みやけせきあん)

生年月日:1665年1月19日
江戸時代中期の儒学者
1730年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の三宅石庵の言及

【懐徳堂】より

…江戸時代の大坂にあった学校。1724年(享保9)大坂町人の三星屋武右衛門,道明寺屋吉左衛門,舟橋屋四郎右衛門,備前屋吉兵衛,鴻池又四郎の5同志が儒者中井甃庵と謀って,彼らの師三宅石庵を学主に迎え,尼崎町1丁目(東区今橋4丁目)に開設。26年幕府官許の学問所となり,石庵のもとに五井蘭洲らが助講,甃庵が学問所預人,5同志が財政運営を担当した。…

※「三宅石庵」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

《「晋書」杜預伝から》竹が最初の一節を割るとあとは一気に割れるように、勢いが激しくてとどめがたいこと。「破竹の勢いで連戦連勝する」[類語]強い・強力・強大・無敵・最強・力強い・勝負強い・屈強・強豪・強...

破竹の勢いの用語解説を読む