三木一草(読み)サンボクイッソウ

デジタル大辞泉 「三木一草」の意味・読み・例文・類語

さんぼく‐いっそう〔‐イツサウ〕【三木一草】

南朝四人功臣の称。三木結城親光ゆうきちかみつ伯耆守ほうきのかみ名和長年楠木正成一草千種忠顕ちぐさただあきをさす。

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精選版 日本国語大辞典 「三木一草」の意味・読み・例文・類語

さんぼく‐いっそう‥イッサウ【三木一草】

  1. 後醍醐天皇建武中興功労のあった、天皇寵臣の四人を合わせて呼んだ称。三木は結城親光伯耆名和長年・楠木正成、一草は千種忠顕をさす。
    1. [初出の実例]「此比天下に結城・伯耆・楠・千種頭中将、三木一草といはれて、飽まで朝恩に誇ったる人々なりしが」(出典:太平記(14C後)一七)

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改訂新版 世界大百科事典 「三木一草」の意味・わかりやすい解説

三木一草 (さんぼくいっそう)

後醍醐天皇の建武政権で重用されはぶりのよかった4人の総称。楠木正成名和長年結城親光,千種(ちぐさ)忠顕のこと。楠木・結城は姓に,名和は伯耆守で官名に〈キ〉がつき,それに千種の〈クサ〉をとって〈三木一草〉としゃれていったもの。村上源氏の流れをくむ千種以外はその出自も明確ではなく,楠木は河内国の土豪,名和は笠印に帆掛船が描かれているので海上活動にかかわっていたらしいとしかわからない。元弘の乱以来一貫して後醍醐天皇に従って軍功をたて,忠顕は参議となって3国の国守となり,正成は左衛門尉と河内・和泉の国守・守護に任ぜられ,長年は伯耆・因幡2国の守になるなど異例の昇進をした。このことは当時の人々の注目するところだったようで,彼らの没後50年の1386年(元中3・至徳3)に成立した《歯長寺(はながでら)縁起》には〈三木一草の人〉と記し,4人が南朝に殉じて皆討死したことをもって〈聖運傾くべき先兆〉と記し,彼らの建武政権において占めた位置を物語っている。
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世界大百科事典(旧版)内の三木一草の言及

【名和長年】より

…1333年(元弘3),隠岐を脱出した後醍醐天皇が伯耆の湊(逢坂(おうさか),篦津(のつ),御来屋(みくりや)など諸説がある)に着くと,長高はこれを迎えて船上山(せんじようさん)に立て籠り,討幕に大きな貢献をし,後醍醐天皇の命で長年と改名,伯耆守に任ぜられるなど厚い信任を得た。建武新政下,さらに因幡を与えられ,東市正(ひがしのいちのかみ)となり,恩賞方,記録所,雑訴決断所などの機関に連なって,〈三木一草(さんぼくいつそう)〉の一人として世にときめいた。長年の花押は母衣(ほろ)を模したかともみられる異様な形状で,またその特異な烏帽子は〈伯耆様〉といわれて流行したという。…

※「三木一草」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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