三木茂(読み)ミキ シゲル

20世紀日本人名事典 「三木茂」の解説

三木 茂
ミキ シゲル

昭和期の記録映画作家



生年
明治38(1905)年11月15日

没年
昭和53(1978)年9月14日

出生地
高知県高知市

本名
三木 盈吉

主な受賞名〔年〕
文部大臣賞「黒い太陽」

経歴
大正10年国際活映巣鴨撮影所に入社、以後各社を転々としながら、劇映画のカメラマンとして活躍。昭和11年皆既日食を記録した「黒い太陽」を監督したのを契機に、記録映画に転じる。12年東宝文化映画部に入り、亀井文夫の下で、「上海」(12年)「戦ふ兵隊」などの撮影を担当し、その透徹したリアリズム撮影で高い評価を得る。その後、柳田國男と出会って民俗学に関心を持ち、秋田の農民生活を記録した「土に生きる」(16年)を監督、撮影する。戦後、三木映画社を設立、教育映画を製作。51年には自ら脚本・監督・撮影・編集による「柳田國男と遠野物語」を製作した。


三木 茂
ミキ シゲル

昭和期の古生物学者 武庫川女子大学薬学部教授。



生年
明治34(1901)年1月1日

没年
昭和49(1974)年2月21日

出生地
香川県木田郡奥鹿村(現・三木町)

学歴〔年〕
京都帝大理学部植物学科〔大正14年〕卒

学位〔年〕
理学博士

主な受賞名〔年〕
朝日文化賞〔昭和25年〕

経歴
京大講師、海軍技師、大阪市立大学理学部教授、武庫川女子大学教授などを歴任。昭和16年国内で発見された植物化石が100万年以前のスギ科化石であることをつきとめ、メタセコイア命名。その後、21年には中国・四川省でメタセコイアの巨木が発見され、世界各地に種子が配られた。平成5年大阪市立自然史博物館の収蔵庫に納められていた標本が初公開された。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「三木茂」の解説

三木茂(1) みき-しげる

1901-1974 昭和時代の植物学者。
明治34年1月1日生まれ。京都帝大講師をへて大阪市立大,武庫川(むこがわ)女子大教授。昭和16年日本産の植物化石から新属を発見,メタセコイアと命名した。20年中国で現生種が確認され,生きている化石として有名になった。25年朝日文化賞受賞。昭和49年2月21日死去。73歳。香川県出身。京都帝大卒。

三木茂(2) みき-しげる

1905-1978 昭和時代の記録映画作家。
明治38年11月15日生まれ。亀井文夫演出の「上海」「戦ふ兵隊」の撮影を担当。柳田国男と出あい,昭和16年民俗学の視点から「土に生きる」を演出・撮影した。戦後は教育映画をつくる。遺作は「柳田国男と遠野物語」。昭和53年9月14日死去。72歳。高知県出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の三木茂の言及

【メタセコイア】より

…中国の四川・湖北両省の標高900~1300mの地に自生する。ながく日本の植物遺体の研究を続けた三木茂(1901‐74)は,1941年にスバールバル諸島産の化石種Sequoia disticha O.Heerに近縁のものが日本にもあることを認め,それらが対生葉をもつ点に着目して葉が互生のセコイア属から分け,別属Metasequoiaを立てた。その後,1943年中国四川省の長江(揚子江)支流磨刀渓で,林務官王戦によって発見された針葉樹が,この属のものであることがわかって一躍世界の注目を浴びた。…

※「三木茂」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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