日本大百科全書(ニッポニカ) 「メタセコイア」の意味・わかりやすい解説
メタセコイア
めたせこいあ
[学] Metasequoia glyptostroboides Hu et Cheng
スギ科(分子系統に基づく分類:ヒノキ科)の落葉高木。和名はアケボノスギという。また中国名は水杉。樹幹は直立し、大きいものは高さ35メートル、径2~3メートルに達する。樹冠は円錐(えんすい)形になり、樹皮は赤褐色で浅く縦裂する。枝は毛がない。葉は2列対生し、線形で、長さ0.8~3センチメートル、幅1~2センチメートル、秋に橙赤褐色(とうせきかっしょく)になる。小枝は葉とともに落ちる。雌雄同株。2~3月に開花し、雄花は褐色で腋生(えきせい)または頂生し、総状または円錐花序をなし、長く垂れ下がる。雌花は細長く、枝先に単生する。果実は角状球形で、径1.5~2.5センチメートル。果鱗(かりん)は十字形対生をなす。種子は倒卵形で翼に包まれ、10月ころ成熟する。やや湿気のある排水のよい肥沃(ひよく)地でよく育つ。材は白色で、建築、器具、薪炭などに利用し、また、庭園、公園などに植栽する。セコイアの名がついているが、セコイア属Sequoiaとは別属に分類されている。
中生代白亜紀以降、とくに新生代第三紀の時代には北半球各地に広く分布していた。日本でも第四紀前半まで生存していた。現生種は「生きている化石」(遺存種)の例として有名となった。
[林 弥栄 2018年6月19日]
文化史
発見はドラマチックである。1943年、森林資源調査に加わった中国の林務官王戦(ワンツァン)は、湖北省謀道の祠(ほこら)で神木とされていた未知の樹木と出会うが、同定できず、翌年、採集された花と果実が北京(ペキン)の胡先驌(フーシエンスー)(1894―1968)中国植物学会会長に送られた。胡はこれを、日本の植物学者三木茂(1901―1974)が化石で命名(1941)したメタセコイア属と同定し、1946年に発表した。1948年1月、種子がアメリカに届き、3月にはカリフォルニア大学のチェイニーR. W. Chaney(1890―1971)が自生地を訪れて採集したが、以降は国共内戦で門戸は閉ざされてしまう。日本への渡来は1948年(昭和23)、ハーバード大学の植物学者メリルE. D. Merrill(1876―1956)から送られた種子が1949年に発芽したものが初めてである。また、1949年チェイニーが金光(こんこう)教の福田美亮に託し、天皇に献上、皇居に植えられた。1950年にもチェイニーから100本の苗が届き、全国に配布され、挿木繁殖で広がった。
[湯浅浩史 2018年6月19日]