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香道 こうどう

7件 の用語解説(香道の意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

香道
こうどう

香をたいてその匂いを鑑賞する芸道。室町時代に成立し江戸時代の元禄期に盛行した。香をたく習慣は仏教とともに日本に伝わった。初め仏教儀礼の一作法として香をたいていたが,8世紀頃から宮廷人の生活に取入れられて普及。

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デジタル大辞泉の解説

こう‐どう〔カウダウ〕【香道】

香木をたいて、香りを賞翫する芸道。香合わせ薫物(たきもの)合わせなどがある。香。

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百科事典マイペディアの解説

香道【こうどう】

香木をたき,その味わいを鑑賞する,日本独自の芸道。日本では仏教伝来とともに香木が伝えられ,仏前をきよめる供香(そなえこう)として用いられていたが,8世紀に居室や衣類に香をたきこめる空薫物(そらだきもの),香合(こうあわせ)が流行。
→関連項目香合香炉蘭奢待

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日本文化いろは事典の解説

香道

香道とは、一定の作法に基づいて香木をたき、その香りを鑑賞して楽しむ日本の伝統芸能です。茶道や華道と同時期の華やかな東山文化のもとに成立しました。現在、「御家流〔おいえりゅう〕」と「志野流〔しのりゅう〕」の二つの流派があります。

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世界大百科事典 第2版の解説

こうどう【香道】

香木を素材とする聞香(ぶんこう∥もんこう)の芸道を香道という。日本独自のもので他に類例をみない。成立は室町時代末期であるが,奈良時代以来の前史がある。
[前史]
 香木が登場する奈良時代の香は,もっぱら神仏に供えられたが,平安時代には部屋にたきこめたり,着物に移香するための空薫(空香)物(そらだきもの)(練香(ねりこう))が盛行,精緻な発達をみせた。やがて,その艶麗華雅な創作を鑑賞し,2種の薫物の優劣を競う薫物合(たきものあわせ)が興る。

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大辞林 第三版の解説

こうどう【香道】

香木をたいて、その香りを鑑賞する芸道。組香・炷継香たきつぎこう・一炷いつちゆう聞き・香合わせなどの種類がある。香。

出典|三省堂
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

香道
こうどう

香木(こうぼく)を焚(た)き、その薫りを鑑賞することによって人間形成を図る情操教育の一分野である。したがって、それは単なる遊びではなく、その内容には倫理的・芸道的行為を含み、一定の作法のもとに行われる。[三條西公正]

歴史

日本には6世紀(飛鳥(あすか)時代)に仏教とともに沈香(じんこう)(伽羅(きゃら))が伝わり、最初の間は僧侶(そうりょ)によってもっぱらインドの風習に倣って、仏前を浄(きよ)めるための供香(そなえこう)として寺院で用いられ、僧侶の間では心身を浄めるための塗香(ずこう)としても使用された。やがて7世紀(奈良時代)の後半ごろになると、宮廷を中心として上流貴族階級でも実用とし、部屋や衣服に香(薫物(たきもの)を含む)を焚きしめる空薫物(そらだきもの)(空物、空香)が流行する。たとえば、10世紀(平安時代)ごろ盛んに行われた衣服に香を焚きしめる場合には、火取(ひとり)に香を焚き、その上を籠(こ)で覆い、その籠に衣服をかけて、香気を衣服に浸透させる。のちには籠が金属製になり、火取香炉とセットになったものが考案された。これを火取母(ひとりも)とよんでいる。なお衣服に香を焚きしめる風習は、時代が進むにつれて一般庶民の間にも普及し始めた。籠のかわりに木の棒でつくったものを用い、これを伏籠(ふせご)とよんだ。この変化は、衣服が装束から和服(小袖(こそで))に移行したために出現したのである。
 また衣服に焚きしめる場合に用いる香は、主として薫物(練香(ねりこう))であって、香木ではない。人為的に創作調製された芳香物質である。したがって調製者の感覚でそれぞれ微妙な相違ができる。代表的処方に「承和の方」「八条宮の方」「閑院左大臣の方」などがあり、薫物方の規範とされている。
 薫物にはこのように微妙な相違が生まれるので、一方ではその差違が遊びの世界にも取り入れられた。それを薫物合(たきものあわせ)とよんで、平安貴族の間に教養の一具として重要な地位をつくりあげた。教養の一具としての遊びであるから、そこでは博識経験豊かな人を判者として催されるのが常道である。もし適者を得られない場合には、参加者全員の合議で優劣を判定する。この場合の判定を衆議判(しゅうぎはん)という。判者は薫物の調製の巧拙、銘の適・不適、たちかた(香り)の良否などを主として判定する。優劣を競うので1回に2種の薫物が必要で、その回数に従って何種薫物合とよばれたのである。たとえば六種薫物合といえば、12種のそれぞれ異なる薫物が用意され、6回行われる仕組みである。これが15世紀(室町時代)ごろには沈香木で行われるようになり、名香合(めいこうあわせ)とよばれるのである。1501年(文亀1)5月29日に志野宗信(そうしん)ほか十数人で催した名香合は有名である。この名香合から派生したものに継香(たきつぎこう)がある。これは当時流行していた連歌の法則を応用して、香銘の連絡の仕方に興味の重点が置かれ、その飛躍のおもしろさが流行の中心となっていたのである。優劣を競う精神と比べて、平和な文芸世界に人々の気持ちが移行し始めた兆候が、こうした遊びの面でもうかがえるのである。平和な詩の世界の実現に興味が移っている点を見逃すことはできない。こうした気運が文芸的な組香(くみこう)の出現を全うしたのである。
 組香は14世紀末ごろから十(じっちゅうこう)という名称で文献に現れてくるが、その流行期は継香ののちになるから、継香の次の世代の遊びとみるのが妥当であろう。2種以上の香木を使用して、一定の題名のもとに遊びが展開されるところに特徴がある。従来の香遊びにはみられなかった新鮮味があり、ここでは優劣を競うのではなく、題名を十分に香気で表現できたか否かに興味の焦点が絞られるのである。
 また一方では、組香が創作できる点にも従来の遊びより優れたものがある。創作ができるゆえに組香として今日に伝わっているものは約1000種にも及ぶが、そのうちで有名なものをとくに三十組組香とよび、しばしば行われている。三十組組香は、16世紀ごろまでに成立しているもの10組を古十組(ことくみ)、17世紀に成立したものを中(なか)十組、18世紀に成立したものを新(しん)十組と称し、代表的作品としている。古十組とは、十香、花月香、宇治山(うじやま)香、小鳥香、郭公(ほととぎす)香、小草香、系図香、源平香、焚合十香、鳥合(とりあわせ)香のこと、中十組とは、名所香、源氏香、競馬香、三香、矢数香、草木香、舞楽香、四町香、住吉香、煙争香のこと、新十組とは、花軍(かぐん)香、古今香、呉越(ごえつ)香、三夕香、蹴鞠(けまり)香、鶯(うぐいす)香、六儀(りくぎ)香、星合香、闘鶏香、焚合花月香のことである。
 これらの組香は、その題名が異なるように、遊び方もそれぞれ違う。すなわち、異なる組織で創作されているのである。わかりやすく解説するために「宇治山香」を述べてみよう。「宇治山香」は喜撰(きせん)法師の「わが庵(いほ)は都のたつみしかぞ住む世を宇治山と人は云(い)ふなり」という和歌を典拠としてつくられた組香で、16世紀ごろから香人の間にはよく知られていたのである。宇治山香という題名はもちろん和歌のうちにある「世を宇治山と」からつけられたもので、その組織は和歌の各句を独立させ、これを構成要素としている。したがって要素は五つになる。これにそれぞれ異なる種類の香木を配分する。配分される香木の量は、後世では2ミリメートル四方くらいの小片であるが、初期にさかのぼるほど、小さく削ったものを使用していた。「香は国の宝なり」といわれ、きわめてたいせつに使用されたものである。
 宇治山香では、あらかじめ香木の小片を2個ずつつくり、それを1個ずつ香包に入れる。一つのほうを試香包、他の一つを本香包という。試香包は表面に、本香包は内面の奥に、たとえば「わが庵は」と書き記して香の名称とする。この組香では試香五包を和歌の句の順序でき、次に本香となった場合には、香包をよく混ぜてから一包を取り出してき、その一包がなんであったかを答える仕組みである。すなわち「わが庵は」とか「しかぞ住む」と答えればよいのである。連衆の答えを一枚の紙に席次順に記入する者を執筆といい、香をく者を香元(こうもと)という。記録ができあがったとき、香元がたいた香がなんであったかを発表する。だいたいこれでこの遊びは終わるのであるが、執筆が記録を作成する間に、連衆には、いまかれた香について種々の問題が残されているのである。たとえば、かれた香が「わが庵は」であったと仮定し、それが伽羅であったとする。伽羅は香道で使用する香の最上のものであるから、それが「わが庵は」に用いられていることによって、その庵がりっぱなものであったか、それともその庵が喜撰法師の気に入りの物であったかを示しているといちおう解釈すべきである。
 しかしまた一方では、世捨人の僧侶の草庵(そうあん)で、人も住んでいない所の庵を表現するのにはふさわしくないので、伽羅のかわりに真南蛮(まなんばん)か寸聞多羅(すもたら)のほうがよいなどの意見が生まれてくるところに、組香の高次性が存するのである。それゆえに香組をする者(出香者)は、組香の構成要素に配する香の選び方に苦心するし、楽しさもわくのである。そのうえ、香の銘も適当でなければならない。なぜかといえば、その銘が構成要素に対して補助的役割を帯びているからである。たとえば、新築したばかりの庵に対して、「荒れたる宿」という香銘では不適当で、それよりは「山家」などを用いたほうが無難であろう。以上「宇治山香」の一要素について述べたが、同様のことが他の各要素についてもいえる。
 香遊びが香道として発足したのは16世紀末以来のことである。従来宮廷を中心として公家(くげ)の間で催されていた香の遊びが、一般に普及し始めた結果、公家では宮中の御香所にも奉仕していた三条西実隆(さんじょうにしさねたか)と、武家では将軍足利義政(あしかがよしまさ)に仕えていた志野宗信(そうしん)が、それぞれ一流派の始祖と仰がれ、実隆を流祖とするものを御家(おいえ)流、宗信を流祖とするものを志野流と称し、今日まで斯道(しどう)に重きをなしている。このほか、重要な流派に米川常白(よねかわじょうはく)を流祖とする米川流、大枝流芳(おおえだりゅうほう)を流祖とする大枝派があるが、いずれも一時的存在であった。また個人では建部隆勝(たけべりゅうしょう)をはじめ、藤野専斉、関親卿、江田世恭、伊予田勝由、勝井錦水らが斯道に造詣(ぞうけい)が深いので有名である。[三條西公正]
『三條西公正著『組香の鑑賞』(1965・理想社) ▽三條西公正著『香道――歴史と文学』(1971・淡交社) ▽一色梨郷著『香道のあゆみ』(1968・芦書房) ▽杉本文太郎著『香道』(1969・雄山閣出版) ▽早川甚三「香の歴史」(『伝統と現代』10所収・1969・学芸書林) ▽長ゆき編『図解 香道の作法と組香』増補改訂版(2000・雄山閣出版) ▽香道文化研究会編『香と香道』増補改訂版(2002・雄山閣出版) ▽神保博行著『香道の歴史事典』(2003・柏書房) ▽北小路功光・北小路成子著『香道への招待』(2004・淡交社)』

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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