改訂新版 世界大百科事典 「三無事件」の意味・わかりやすい解説
三無事件 (さんむじけん)
元軍人らの国史会グループが,池田勇人内閣の閣僚を含む政府要人の暗殺や,国会,警察などの襲撃を企てたクーデタ未遂事件。初め国史会事件と呼ばれたが,グループの主張から三無事件と呼ばれるようになった。1961年12月12日までに,元川南工業社長川南豊作,元陸軍少将桜井徳太郎,元海軍中尉三上卓(五・一五事件の首謀者),元陸軍士官学校生徒小池一臣ら13人が逮捕され,つづいて4次まで検挙がおこなわれた。国史会グループは川南の主張する〈無戦争・無税・無失業〉の三無主義に共鳴し,現在の政府では共産革命を抑止することができないと,元同僚の自衛隊幹部にも呼びかけ,国会の開会する12月9日,国会の周辺を騒乱状態にして,閣僚や国会議員を暗殺する計画を立てた。自衛隊への働きかけに失敗したことが,発覚の端緒となったといわれる。東京地方検察庁は12月29日,初めて破壊活動防止法を適用し,政治目的の殺人予備,騒乱予備の容疑で10人を起訴した。1964年5月30日,東京地方裁判所は破防法違反として,川南に懲役2年,小池に1年6ヵ月など6人に有罪,4人に無罪の判決を下した。ついで67年6月,東京高等裁判所の判決では,破防法に関しては無罪とされ,川南の懲役2年など4人が有罪となり,70年7月,最高裁判所の判決によって高裁判決が確定した。
執筆者:川村 善二郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報