三遊亭円橘(読み)サンユウテイ エンキツ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「三遊亭円橘」の解説

三遊亭 円橘(2代目)
サンユウテイ エンキツ


職業
落語家

本名
佐藤 三吉

別名
前名=立川 花久馬,三遊亭 市馬,別名=葉南志坊 円馬

生年月日
天保8年 2月

出生地
江戸・麹町(東京都)

経歴
14歳の時に父と死別。以後、絵師・料理人などで生計を立てる傍ら、京橋連という素人連中で噺を演じたりするうち、元治年間(1864〜1865年)に3代目立川焉馬に入門し立川花久馬を名乗る。慶応3年(1867年)頃に初代三遊亭円馬門に移り三遊亭市馬と改名。更に、明治2年初代三遊亭円朝の門に入り、5年頃に真打ちとなり2代目円橘を襲名。17年頃に一時、円朝と不和になり門を離れ4代目立川焉馬を名乗ったが、2〜3年後に誤解が解け円橘に復名する。円朝譲りの「業平文治」などの人情噺、「万歳の遊び」などの落とし噺を得意とし、自作の長編人情噺「隅田川流れの白浪」「業平文治の後日」「千代田の大奥」でも評判を取る。円朝四天王の1人とされ三遊派で重きをなした。また立花家橘之助、初代三遊亭円右など多くの門弟を育てた。その住所から薬研堀の円橘と呼ばれる。39年円朝の7回忌法要が東京・谷中の全生庵で繰り上げて行われた際に本堂で倒れそのまま他界した。

没年月日
明治39年 7月11日 (1906年)

伝記
落語名人伝 関山 和夫 著(発行元 白水社 ’92発行)


三遊亭 円橘(3代目)
サンユウテイ エンキツ


職業
落語家

本名
塚本 伊勢吉

別名
初名=柳家 小夏,前名=三遊亭 遊七,三遊亭 遊朝

生年月日
慶応4年 2月7日

出生地
江戸・麻布(東京都)

経歴
父はもと紀州の武士で維新後、家禄公債資本に浅草田原町で呉服屋を営んでいたと云われる。その家業を手伝ううち寄席通いが高じて、18歳の頃2代目柳家小さんに入門、小夏と名乗る。のち初代三遊亭円遊の門人となり遊七と改める。素噺の正統派として評価を高め、明治35年4月遊朝と改め真打に。41年5月2代目円橘の三回忌に当たり3代目円橘を襲名。柳橋で河内屋という芸妓屋を出していたので柳橋の円橘と呼ばれた。益田太郎冠者にかわいがられて、その新作をもらって演じたりもした。明治末には初代遊三などと共に三遊分派に属した。

没年月日
大正5年 10月24日 (1916年)


三遊亭 円橘(5代目)
サンユウテイ エンキツ


職業
落語家

本名
豊永 豊太郎

別名
前名=三遊亭 右喜松,三遊亭 円雀,三遊亭 若円右,柳亭 芝楽

生年月日
明治17年 11月5日

出生地
東京府 下谷区(東京都 台東区)

経歴
明治36年初代三遊亭円右に入門、右喜松。40年代の初め頃に円雀を名乗り、大正5年若円右で真打ち。7年5代目柳亭左楽門下に転じて柳亭芝楽に改名したが、昭和2年睦会から落語協会への移籍に際して5代目円橘を襲名した。

没年月日
昭和34年 6月23日 (1959年)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「三遊亭円橘」の解説

三遊亭円橘(2代) さんゆうてい-えんきつ

1837-1906 幕末-明治時代の落語家。
天保(てんぽう)8年2月生まれ。3代立川焉馬(たてかわ-えんば)に入門し,立川花久馬(かくば)を名のる。明治2年初代三遊亭円朝の門にはいり,5年ごろ円橘と改名。人情噺(ばなし),落とし噺を得意とし,三遊派で重きをなした。明治39年7月11日死去。70歳。江戸出身。本名は佐藤三吉。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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