三隅研次(読み)ミスミケンジ

デジタル大辞泉 「三隅研次」の意味・読み・例文・類語

みすみ‐けんじ【三隅研次】

[1921~1975]映画監督京都の生まれ。「丹下左膳たんげさぜん こけ猿つぼ」で監督デビュー。勝新太郎主演「座頭市」シリーズや、若山富三郎主演「子連れ狼」シリーズなど、時代劇を多く手がける。他に「る」「無法松の一生」など。

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百科事典マイペディア 「三隅研次」の意味・わかりやすい解説

三隅研次【みすみけんじ】

映画監督。京都生れ。1941年立命館大学卒業後,日活京都撮影所に入社。のち大映移籍衣笠貞之助伊藤大輔などに師事。監督第1作は《丹下左膳・こけ猿の壷》(1954年)。主に時代劇を手がけ,特に市川雷蔵勝新太郎の新しい側面を引き出したことで評価されている。代表作に《大菩薩峠》(1960年),《座頭市物語》(1962年),《眠狂四郎勝負》(1964年),《無法松一生》(1965年),若山富三郎主演の《子連れ狼・子を貸し腕貸しつかまつる》(1972年)をはじめとする〈子連れ狼シリーズ〉などがある。

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20世紀日本人名事典 「三隅研次」の解説

三隅 研次
ミスミ ケンジ

昭和期の映画監督



生年
大正10(1921)年3月2日

没年
昭和50(1975)年9月24日

出生地
京都府京都市

学歴〔年〕
立命館大学高等商業部〔昭和16年〕卒

経歴
昭和16年日活京都撮影所に入り助監督。17年応召し、満州に派遣、敗戦シベリア抑留となり、22年復員。同年大映京都撮影所に復職し、伊藤大輔、新藤兼人、衣笠貞之助らに師事。29年「丹下左膳・こけ猿の壺」で監督昇進。31年以降「浅太郎鴉」「桃太郎侍」「大菩薩峠」「釈迦」「座頭市物語」「斬る」「剣」「眠狂四郎勝負」「無法松の一生」「なみだ川」など主に時代劇監督として活躍。46年大映倒産、勝新太郎プロに移り、若山富三郎の「子連れ狼」シリーズ、テレビ「必殺仕掛人」などを経て49年の「狼よ落日を斬れ」が最後の作品となった。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「三隅研次」の解説

三隅研次 みすみ-けんじ

1921-1975 昭和時代後期の映画監督。
大正10年3月2日生まれ。召集,シベリア抑留をへて昭和22年大映にはいる。29年「丹下左膳・こけ猿の壺(つぼ)」で監督デビュー。時代劇に切れ味をみせ,代表作に市川雷蔵主演「斬(き)る」「剣」,勝新太郎主演「座頭市物語」などがある。昭和50年9月24日死去。54歳。京都出身。立命館大卒。

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367日誕生日大事典 「三隅研次」の解説

三隅 研次 (みすみ けんじ)

生年月日:1921年3月2日
昭和時代の映画監督
1975年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の三隅研次の言及

【大菩薩峠】より

…第3回は同じく東映の《大菩薩峠》三部作(1957‐59)で,監督は内田吐夢(とむ),机竜之助を前作と同じ片岡千恵蔵,お浜・お豊の二役を長谷川裕見子が演じた。第4回は大映の《大菩薩峠》三部作(1960‐61)で,監督は第1部・第2部が三隅研次,第3部が森一生,机竜之助には市川雷蔵,お浜・お豊には中村玉緒が扮した。第5回は東宝の《大菩薩峠》(1966)で,監督は岡本喜八,机竜之助を仲代達矢,お浜を新珠三千代が演じた。…

※「三隅研次」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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