市川雷蔵(読み)イチカワライゾウ

デジタル大辞泉 「市川雷蔵」の意味・読み・例文・類語

いちかわ‐らいぞう〔いちかはライザウ〕【市川雷蔵】

[1931~1969]俳優。8世。京都の生まれ。本名亀崎章雄かめざきあきお。のちに竹内嘉男よしお、太田吉哉と改名歌舞伎界から映画界転身。「新・平家物語」に主演して注目を集めると、「炎上」で多くの映画賞を受賞し地位を確立。その後も「眠狂四郎ねむりきょうしろう」シリーズなどで人気を博した。他の出演作に「ぼんち」「陸軍中野学校」など。

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新撰 芸能人物事典 明治~平成 「市川雷蔵」の解説

市川 雷蔵(8代目)
イチカワ ライゾウ


職業
俳優

本名
太田 吉哉

旧名・旧姓
竹内 嘉男

別名
幼名=章雄,初名=市川 莚蔵(3代目)

生年月日
昭和6年 8月29日

出生地
京都府 京都市

学歴
天王寺中(天王寺高)中退

経歴
生後6ヶ月で関西の歌舞伎俳優・3代目市川九団次の養子となる。少年時代は名門といわれた大阪の天王寺中学で学び、将来は医者を目指すほど成績は優等であった。やがて歌舞伎俳優を志すようになり、昭和21年同校を中退して3代目市川莚蔵として初舞台を踏む。しかし、梨園の名門出身ではなかったため、門閥が重視される歌舞伎界では良い役は与えられず、24年境遇を同じくする嵐鯉昇、2代目中村太郎らとともに勉強会・つくし会を結成して演技を磨いた。同年武智鉄二による“武智歌舞伎”の第1回公演に参加。ここで武智に才能を認められて厳しい指導を受け、徐々に頭角を現す。26年関西歌舞伎の重鎮である3代目市川寿海の養子となり、8代目市川雷蔵を襲名。しかし、養父・寿海の方針で若いうちから大役を任せられることはなく、29年大映のスカウトを受けて映画界入りを決意、「花の白虎隊」で銀幕デビュー。30年には早くも溝口健二監督「新・平家物語」の平清盛役に抜擢され、一気にスターダムにのし上がった。以来、「弁天小僧」「薄桜記」「大菩薩峠」「斬る」「忠直卿行状記」「新撰組始末記」「忍びの者」など時代劇を中心に出演。一方、現代劇でも屈折感のある青年役などを好演し、33年三島由紀夫の「金閣寺」を映画化した市川崑監督「炎上」ではキネマ旬報賞主演男優賞、ブルーリボン賞主演男優賞を受けるなど、その演技力は高く評価された。現代劇の代表作は他に「ぼんち」「破戒」「陸軍中野学校」「ある殺し屋」などがある。38年に公開された「眠狂四郎 殺法帖」で演じたニヒルな剣士・眠狂四郎は当たり役となり、以後、〈眠狂四郎〉シリーズとして全12作が制作されるロングヒット作となった。42年「華岡青洲の妻」でNHK映画最優秀主演男優賞、キネマ旬報賞主演男優賞を受賞。一方で、35年映画界入り以来6年ぶりに大阪新歌舞伎座に出演。40年養父・寿海とともに大阪歌舞伎座公演を行い、好評を博した。43年には劇団テアトロ鏑矢を組織し、演劇プロデューサーとしての活動も開始。同年6月「関の弥太っぺ」撮影中に倒れ、手術後も2本の映画に出演するが、44年7月肝臓がんのため37歳の若さで死去。映画デビュー以来、15年間に154本の映画に出演、常にトップスターの座を歩みつづけ、そのすぐれた演技と品格のある美しさを今なお懐かしむファンが多い。

受賞
キネマ旬報賞主演男優賞(昭33年度)「炎上」,ブルーリボン賞主演男優賞(昭33年度)「炎上」,NHK映画最優秀主演男優賞「華岡青洲の妻」〔昭和42年〕,キネマ旬報賞主演男優賞(昭42年度)「華岡青洲の妻」「ある殺し屋」,京都市民映画祭マキノ省三賞〔昭和44年〕

没年月日
昭和44年 7月17日 (1969年)

家族
養父=市川 九団次(3代目),市川 寿海(3代目)

伝記
雷蔵の色なりきり映画考わたしの雷蔵木久扇のチャンバラスターうんちく塾映画録音技師ひとすじに生きて―大映京都六十年雷蔵好み昭和芸能 奇・偉人伝ライバルを探せ!―対立構造のすすめ映画俳優マル秘私の昭和映画史雷蔵好み天皇が十九人いた―さまざまなる戦後京の雨と風現代映画への旅大映チャンバラ黄金時代 十一人の剣豪―石割平コレクションうたたねの夢完本 市川雷蔵市川雷蔵出演映画作品ポスター集―粟田宗良コレクション日本のアクション映画―裕次郎から雷蔵まで市川雷蔵市川雷蔵とその時代甦る!市川雷蔵森一生 映画旅市川雷蔵かげろうの死俳優(スター)の美学 村松 友視 著矢野 寛治 著石川 よし子 編林家 木久扇 文・絵林 土太郎 著村松 友視 著江本 弘志 著村松 友視 著佐藤 忠男 著江本 弘志 著村松 友視 著保阪 正康 著河合 邦委 著山根 貞男 著石割 平 編・著,円尾 敏郎 編岡本 光夫 著山根 貞男 編粟田 宗良 編西脇 英夫 著石川 よし子 編室岡 まさる 著森 一生,山田 宏一,山根 貞男 著田山 力哉 著佐藤 忠男 著(発行元 河出書房新社書肆侃侃房国書刊行会小池書院草思社集英社新風舎日本放送出版協会晶文社東京図書出版会,星雲社〔発売〕ホーム社,集英社〔発売〕角川書店詩画工房講談社ワイズ出版日本随筆家協会ワイズ出版ワイズ出版社会思想社三一書房徳間書店近代映画社草思社社会思想社未来社 ’09’08’08’07’07’06’06’05’03’02’02’01’01’01’00’00’99’99’96’95’93’92’89’88’87発行)


市川 雷蔵(5代目)
イチカワ ライゾウ


職業
歌舞伎俳優

本名
浜田 吉蔵

別名
初名=市川 九

生年月日
明治9年

出生地
東京

経歴
東京吉原の料理店浜田の二男。9代目団十郎に入門、九(いちじく)と名乗り子役として東京の舞台で修業する。のち5代目市川雷蔵を襲名。青年俳優の有望株と注目されたが、品行悪く一時破門される。のち復帰したが明治34年3月東京真砂座「塩原多助一代記」が最後の舞台となった。

没年月日
明治34年 9月21日 (1901年)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「市川雷蔵」の意味・わかりやすい解説

市川雷蔵 (いちかわらいぞう)
生没年:1931-69(昭和6-44)

映画俳優。1950年代後半から60年代にかけて,おもに時代劇で活躍し,37歳で病没した夭逝(ようせい)の美男スター。その活躍期間は日本の映画産業の隆盛期から衰退期に当たる。俳優として大成したのちの死ではあったが,気品と悲劇性に満ちた美男ぶりは愛惜され続けた。いわば映画そのものが早すぎる死を予感していたかのように,中期以降の作品にはつねに死の影が漂っていた。とくに《眠狂四郎》シリーズ(1963-69)では,端正な容姿が主人公の出生の秘密による虚無感と孤独感で影を帯び,あやしい美しさの魅惑を放ったが,そこには市川雷蔵自身の出生の複雑さと生い立ちの転変が影を落としているのかもしれない。京都市に生まれたこと以外,実父母のことなどは明らかにされておらず,誕生の翌年,歌舞伎俳優市川九団次の養子となって竹内嘉男を名のり,大阪府立天王寺中学に学び,1946年,市川莚蔵の名で歌舞伎の初舞台を踏んで,51年,関西歌舞伎の長老,市川寿海の養子となり,8世市川雷蔵を襲名した。本名,太田吉哉。映画には54年,勝新太郎とともに《花の白虎隊》でデビューし,以後,大映映画のスターとなる。溝口健二監督に抜擢(ばつてき)された出世作《新平家物語》(1955)のりりしい若武者,《濡れ髪三度笠》(1959)などの明朗時代劇のヒーローとして人気を得,初の現代劇で三島由紀夫の小説《金閣寺》の映画化《炎上》(1958)に続く市川崑監督の《ぼんち》(1960)でも浪花男の飄逸(ひよういつ)さを好演。雷蔵自身の10年来の念願であったという村上元三原作,池広一夫監督の股旅物(またたびもの)《ひとり狼》(1968)では,半ば死の世界を生きる流れ者の断念をみごとに演じ,スターとしての絶頂の姿を示し,69年,直腸癌で倒れるまで映画生活15年間に153本の作品に出演。最後の7年間には《忍びの者》シリーズ8本,《眠狂四郎》シリーズ12本をはじめ《陸軍中野学校》5本,任俠劇《若親分》8本と,4シリーズで大活躍。量産される大衆娯楽映画,いわゆるプログラム・ピクチャーの,まさに最後のスターといっていい。
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20世紀日本人名事典 「市川雷蔵」の解説

市川 雷蔵(8代目)
イチカワ ライゾウ

昭和期の俳優



生年
昭和6(1931)年8月29日

没年
昭和44(1969)年7月17日

出生地
京都市

本名
太田 吉哉

旧姓(旧名)
竹内 嘉男

別名
幼名=章雄,初名=市川 莚蔵(3代目)

学歴〔年〕
天王寺中(現・天王寺高)中退

主な受賞名〔年〕
キネマ旬報賞主演男優賞(昭33年度)「炎上」,ブルーリボン賞主演男優賞(昭33年度)「炎上」,キネマ旬報賞主演男優賞(昭42年度)「華岡青洲の妻」「ある殺し屋」

経歴
誕生の翌年3代目市川九団次の養子となり、昭和21年3代目市川莚蔵として初舞台。その後、“武智歌舞伎”の武智鉄二のもとでスパルタ教育を受ける。26年3代目市川寿海の養子となり、8代目市川雷蔵を襲名。29年大映にスカウトされ、「花の白虎隊」で映画デビュー。以来15年間に154本の映画に出演、常にトップスターの座を歩みつづけた。時代劇を中心に出演したが、屈折感のある現代青年役も好演し、「炎上」「ぼんち」「破戒」「陸軍中野学校」「ある殺し屋」「華岡青洲の妻」などに発揮された。時代劇の代表作に「新・平家物語」「弁天小僧」「薄桜記」「大菩薩峠」「斬る」「忍びの者」〈眠狂四郎〉シリーズがある。44年7月がんのため37歳の若さで死去。すぐれた演技と品格のある美しさで今なお懐かしむファンが多い。平成2年写真集出版をきっかけに再ブームが到来。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

百科事典マイペディア 「市川雷蔵」の意味・わかりやすい解説

市川雷蔵【いちかわらいぞう】

俳優。本名太田吉哉。京都生れ。誕生の翌年に歌舞伎俳優市川九団次の養子となる。1951年関西歌舞伎の名優市川寿海の養子となる。歌舞伎俳優をへて1954年大映に入社し,同年《花の白虎隊》で映画デビュー。気品のある美貌とクールな演技が特徴で,《忍びの者》(1962年)に始まる〈忍びシリーズ〉,柴田錬三郎原作の《眠狂四郎殺法帖》(1959年)に始まる〈眠狂四郎シリーズ〉などにより人気を博した。時代劇を中心に活躍したが,市川崑監督の《炎上》(1958年)や《破戒》(1962年)のような現代劇もある。1969年癌のため早逝。
→関連項目増村保造三隅研次

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「市川雷蔵」の解説

市川雷蔵(8代) いちかわ-らいぞう

1931-1969 昭和時代後期の歌舞伎役者,映画俳優。
昭和6年8月29日生まれ。7年3代市川九団次の養子になる。昭和21年市川莚蔵(えんぞう)として関西歌舞伎で初舞台。26年3代市川寿海の養子となり,8代雷蔵を襲名。29年大映にはいり「花の白虎隊(びゃっこたい)」で映画デビュー。連作「眠(ねむり)狂四郎」などの時代劇で人気を博した。昭和44年7月17日死去。37歳。京都出身。大阪天王寺中学中退。本名は太田吉哉。

市川雷蔵(初代) いちかわ-らいぞう

1724-1767 江戸時代中期の歌舞伎役者。
享保(きょうほう)9年生まれ。京都の子供芝居で修業,寛保(かんぽう)2年江戸にうつる。はじめ若女方。宝暦3年2代市川海老蔵(えびぞう)に入門,市川升蔵を名のり,立役(たちやく)となる。11年雷蔵と改名。荒事(あらごと),和事(わごと)を得意とした。明和4年4月12日死去。44歳。京都出身。初名は嵐玉柏。俳名は栢車。屋号は柏屋。

市川雷蔵(4代) いちかわ-らいぞう

1820-1866 江戸時代後期の歌舞伎役者。
文政3年生まれ。7代市川団十郎の門人。安政5年4代市川寿美蔵(すみぞう)を名のり,6年4代雷蔵を襲名。立役(たちやく)と敵役をかねた。慶応2年5月7日死去。47歳。初名は市川団子。前名は市川海蔵,雛助など。俳名は海猿,亀猿。屋号は桜屋。

市川雷蔵(2代) いちかわ-らいぞう

1754-1778 江戸時代中期の歌舞伎役者。
宝暦4年生まれ。初代市川雷蔵の子。父の死後,明和6年2代を襲名。若衆方。荒事(あらごと)を得意とした。安永7年1月7日死去。25歳。江戸出身。初名は市川雛蔵。俳名は栢車。屋号は柏屋。

市川雷蔵(3代) いちかわ-らいぞう

市川男女蔵(いちかわ-おめぞう)(2代)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「市川雷蔵」の意味・わかりやすい解説

市川雷蔵
いちかわらいぞう

[生]1931.8.29. 京都
[没]1969.7.17. 東京
映画俳優。本名太田吉哉。歌舞伎の名優市川寿海の養子。 1954年大映に入社,『花の白虎隊』でデビュー。気品ある容貌と舞台で鍛えた演技力で人気があった。『新平家物語』 (1955) ,『炎上』 (58) ,『ぼんち』 (60) ,『破戒』 (62) ほか『眠狂四郎』『忍びの者』『若親分』『陸軍中野学校』などのヒット・シリーズに出演。

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367日誕生日大事典 「市川雷蔵」の解説

市川 雷蔵(8代目) (いちかわ らいぞう)

生年月日:1931年8月29日
昭和時代の歌舞伎役者;映画俳優
1969年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の市川雷蔵の言及

【市川寿美蔵】より

…(1)4世(1820‐66∥文政3‐慶応2) 7世市川団十郎門下で子役から何度も名を変え,立役と敵役を兼ねた。1858年(安政5)寿美蔵,翌年4世市川雷蔵となる。(2)5世(1845‐1906∥弘化2‐明治39) 明治初年東両国垢離場(こりば)大辰の芝居で,河原崎権之助(9世市川団十郎)を連想させたので,〈垢離場の権之助〉と称された。…

【忍びの者】より

…日本映画。最後の時代劇スターといわれる市川雷蔵の最初のシリーズで,1962年の《忍びの者》から66年の《新書・忍びの者》まで,計8本がつくられ,勝新太郎の《座頭市》シリーズとともに大映の屋台骨になった。いずれも戦国時代が舞台で,史実に取材し,歴史の裏面で暗躍した忍者たちの姿を実録ふうに描く。…

【大菩薩峠】より

…第3回は同じく東映の《大菩薩峠》三部作(1957‐59)で,監督は内田吐夢(とむ),机竜之助を前作と同じ片岡千恵蔵,お浜・お豊の二役を長谷川裕見子が演じた。第4回は大映の《大菩薩峠》三部作(1960‐61)で,監督は第1部・第2部が三隅研次,第3部が森一生,机竜之助には市川雷蔵,お浜・お豊には中村玉緒が扮した。第5回は東宝の《大菩薩峠》(1966)で,監督は岡本喜八,机竜之助を仲代達矢,お浜を新珠三千代が演じた。…

※「市川雷蔵」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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