勝新太郎(読み)カツシンタロウ

デジタル大辞泉 「勝新太郎」の意味・読み・例文・類語

かつ‐しんたろう〔‐シンタラウ〕【勝新太郎】

[1931~1997]俳優。東京の生まれ。本名、奥村利夫。「悪名」「座頭市」の両シリーズがヒットするなど人気スターとして活躍、「勝新かつしん」の愛称で親しまれた。後年は映画監督業にも進出。他の出演作に「兵隊やくざ」「人斬り」など。

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新撰 芸能人物事典 明治~平成 「勝新太郎」の解説

勝 新太郎
カツ シンタロウ


職業
俳優

本名
奥村 利夫

別名
長唄名=杵屋 勝丸(2代目)

生年月日
昭和6年 11月29日

出生地
東京市 深川区木場(東京都江東区)

学歴
法大附属中(旧制)卒

経歴
父は長唄三味線方の師匠・杵屋勝東治で、兄は俳優の若山富三郎。6歳の時に杵屋勝貴賀に入門し、長唄と三味線の手ほどきを受ける。戦時中は兄とともに日光に疎開し、終戦後しばらく同地に滞在したが、昭和22年帰京してからは本格的に長唄を修業。23年2世杵屋勝丸を襲名し、長唄にジャズを取り入れた斬新な新曲「たけくらべ」を発表して話題となった。29年父や兄とともに吾妻徳穂のアズマカブキに随行して渡米。米国では新人スター候補生であったジェームス・ディーンとも会い、映画の面白さを知ったという。同年帰国ののち大映に入社し、勝新太郎の芸名を名乗って田坂勝彦監督「花の白虎隊」に脇役として出演し映画デビューを果たす。続く天野信監督の「お富さん」では主役を任され、その後も大映社長・永田雅一後押しのもと主演映画が何作か作られたがなかなか芽が出ず、同期入社で同い年の市川雷蔵に大きく水を開けられた。35年森一生監督「不知火検校」で悪逆非道の坊主を好演して注目され、以後は〈悪名〉シリーズ、〈座頭市〉シリーズ、〈兵隊やくざ〉シリーズなどに主演して自身の人気を不動のものとするとともに、これらを大映のドル箱シリーズとして会社の興行成績を助けた。特に〈座頭市〉シリーズは海外にも輸出され、第三世界においては最も有名な日本映画のシリーズとなった。この間、37年永田の媒酌で女優・中村玉緒と結婚。42年勝プロダクションを設立して映画製作にも乗り出し、第1回作品として山本薩夫監督「座頭市牢破り」を発表。続いて43年には勅使河原宏監督、安部公房脚本、自身主演で「燃えつきた地図」を製作し、話題となった。46年の「顔役」、47年の「新座頭市物語・折れた杖」では自らメガホンをとって監督も務めている。その後、大映の倒産に伴って東宝との提携に移行し、〈座頭市〉〈悪名〉〈兵隊やくざ〉の各シリーズを作りつづけたほか、自身主演の「御用牙」、兄・若山を主役とした「子連れ狼」など劇画を映画化した新シリーズも開始。またテレビ界にも進出し、「座頭市物語」「新・座頭市」「さらば浪人」などを製作し、一部では自ら演出もこなした。54年黒沢明監督の「影武者」の主演に起用されるが、黒沢と衝突し降板。56年9月には多額の負債を抱えて同プロが倒産、57年再起を図るため妻の玉緒を社長として新生勝プロを発足させた。62年春からのNHK大河ドラマ「独眼竜政宗」の豊臣秀吉役で久々にテレビ出演。平成元年自身の製作・監督・脚本・主演で「座頭市」の16年ぶりの新作を作るが、撮影中に殺陣で死亡事故が起こるというアクシデントに見舞われた。さらに2年には麻薬所持でホノルル税関に逮捕されて強制退去命令を受け、3年帰国後、大麻取締法違反の疑いで逮捕。4年東京地裁で懲役2年6ヶ月、執行猶予4年の判決が下った。この間、2年に黒木和雄監督「浪人街」に出演したのが映画での遺作となり、8年下咽頭癌であることを公表。同年大阪新歌舞伎座の「夫婦善哉・東男京女」で妻の玉緒と共演したのが最後の舞台となった。

受賞
キネマ旬報賞(主演男優賞 第9回 昭和38年度)「悪名」「座頭市」シリーズ,ブルーリボン賞(大衆賞 第14回 昭和38年度)「座頭市」,ゴールデンアロー賞(取材協力賞 第2回 昭和39年度),牧野省三賞(第8回)〔昭和40年〕,ゴールデンアロー賞(大賞 第10回 昭和47年度)「子連れ狼」,くまもと映画祭日本映画監督賞(第1回 昭和50年度)「子連れ狼」,おおさか映画祭主演男優賞(第15回)〔平成1年〕「座頭市」,おおさか映画祭話題賞(第18回 平成4年度)〔平成5年〕 毎日映画コンクール男優演技賞(第26回・昭和46年度)「いのちぼうにふろう」「顔役」他

没年月日
平成9年 6月21日 (1997年)

家族
父=杵屋 勝東治(長唄三味線方),兄=若山 富三郎(俳優),妻=中村 玉緒(女優),長男=鴈 龍太郎(俳優),長女=奥村 真粧美(女優)

親族
甥=若山 騎一郎(俳優)

伝記
天才 勝新太郎おこりんぼさびしんぼ―若山富三郎・勝新太郎 無頼控勝新図鑑―絵になる男・勝新太郎のすべて続・兵隊やくざ―続・貴三郎一代兵隊やくざ―貴三郎一代中村玉緒 わたしはあきらめない私論・勝新太郎―「勝新語録」とその背景座頭市―勝新太郎全体論あほな女―“玉緒っち”のすべてがわかる!!日本のアクション映画―裕次郎から雷蔵まで日本映画黄金伝説あほな女―生きてる限り、生きていく俺・勝新太郎 春日 太一 著山城 新伍 著川勝 正幸 編有馬 頼義 著有馬 頼義 著NHK「わたしはあきらめない」制作班,KTC中央出版 編市山 隆一 著平岡 正明 著中村 玉緒 著西脇 英夫 著白井 佳夫 著中村 玉緒 著勝 新太郎 著(発行元 文芸春秋廣済堂出版ピエ・ブックス光人社光人社KTC中央出版講談社河出書房新社廣済堂出版社会思想社時事通信社廣済堂出版廣済堂出版 ’10’08’03’03’03’03’98’98’97’96’93’92’92発行)

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20世紀日本人名事典 「勝新太郎」の解説

勝 新太郎
カツ シンタロウ

昭和・平成期の俳優



生年
昭和6(1931)年11月29日

没年
平成9(1997)年6月21日

出生地
東京市深川区木場(現・東京都江東区)

本名
奥村 利夫

別名
長唄名=杵屋 勝丸(2代目)

学歴〔年〕
法大附属中(旧制)卒

主な受賞名〔年〕
キネマ旬報賞(主演男優賞 第9回 昭38年度)「悪名」「座頭市」シリーズ,ブルーリボン賞(大衆賞 第14回 昭38年度)「座頭市」,ゴールデンアロー賞(取材協力賞 第2回 昭39年度),牧野省三賞(第8回)〔昭和40年〕,毎日映画コンクール男優演技賞(第26回・昭46年度)「いのちぼうにふろう」「顔役」他,ゴールデンアロー賞(大賞 第10回 昭47年度)「子連れ狼」,くまもと映画祭日本映画監督賞(第1回・昭50年度)「子連れ狼」,おおさか映画祭主演男優賞(第15回)〔平成1年〕「座頭市」,おおさか映画祭話題賞(第18回・平4年度)〔平成5年〕

経歴
長唄から映画界に入る。昭和29年大映に入社。「花の白虎隊」でデビューしたがなかなか芽が出ず、35年「不知火検校」の坊主役で注目され、「悪名」シリーズ、「座頭市」シリーズ、「兵隊やくざ」シリーズで人気を得る。特に「座頭市」シリーズは世界に輸出され、第三世界における最も有名な日本映画のシリーズとなる。42年から勝プロダクションを主宰、山本薩夫「座頭市と牢破り」、勅使河原宏「燃えつきた地図」などを製作。また「顔役」「新座頭市物語・折れた杖」「子連れ狼」では自ら監督をつとめ、テレビ界にも進出したが振るわず、56年9月多額の負債を抱え、倒産。57年妻で女優の中村玉緒を社長に新生勝プロを発足。62年春からのNHK大河ドラマ「独眼竜政宗」の豊臣秀吉役で久々のテレビ出演。3年大麻取締法違反の疑いで逮捕。8年11月下咽頭がんであることを公表した。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「勝新太郎」の意味・わかりやすい解説

勝新太郎
かつしんたろう
(1931―1997)

俳優。本名奥村利夫。東京生まれ。長唄の杵屋勝東治(きねやかつとうじ)の次男。1954年(昭和29)大映に入社、『花の白虎(びゃっこ)隊』でデビュー。同期のスターに市川雷蔵がいた。1960年『不知火検校(しらぬいけんぎょう)』で極悪非道のはり師を演じ、一躍注目されて出世作となった。1961年には今東光(こんとうこう)原作の『悪名(あくみょう)』で任侠(にんきょう)道に生きる古風な親分役で好評を得、シリーズ化された。1962年『座頭市(ざとういち)物語』では盲人で居合抜きの達人座頭市が当り役となる。1965年の『兵隊やくざ』の無鉄砲な主人役がヒットとなる。以上の2作もともにシリーズ化されたが、とくに『座頭市』シリーズは映画化26作を数え、テレビでもドラマ化されるなど、彼の代表的作品といわれている。1967年には勝プロを設立。また監督業にも進出、『顔役』『座頭市』などをつくっている。他の著名な出演作は『迷走地図』『帝都物語』など。兄は俳優の故若山富三郎(とみさぶろう)、妻は女優の中村玉緒(たまお)。「カツシン」の愛称で親しまれた。

[長崎 一]

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百科事典マイペディア 「勝新太郎」の意味・わかりやすい解説

勝新太郎【かつしんたろう】

俳優。本名奥村利夫。東京生れ。父は長唄の杵屋勝東治。1954年大映に入社し,同年《花の白虎隊》でデビュー。森一生監督《不知火検校》(1960年)で頭角を現す。《悪名》(1961年)に始まる〈悪名シリーズ〉,《座頭市物語》(1962年)に始まる〈座頭市シリーズ〉,《兵隊やくざ》(1965年)をはじめとする〈兵隊やくざシリーズ〉でアウトローのしぶとさを強烈な個性で演じ,それぞれヒット作となった。1967年には勝プロダクションを設立し,《顔役》(1971年)などを監督。ほかに五社英雄監督《人斬り》(1969年),野村芳太郎監督《迷走地図》(1983年),黒木和雄監督《浪人街》(1990年)などがある。俳優若山富三郎〔1929-1992〕は実兄。
→関連項目増村保造三隅研次

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「勝新太郎」の解説

勝新太郎 かつ-しんたろう

1931-1997 昭和後期-平成時代の俳優。
昭和6年11月29日生まれ。若山富三郎の弟。中村玉緒の夫。長唄修業をへて昭和29年大映の「花の白虎隊」で映画デビュー。35年「不知火検校(しらぬいけんぎょう)」で注目され,「悪名」「座頭市物語」の両シリーズで人気スターとなる。「顔役」「子連れ狼」などを製作,監督もつとめた。平成9年6月21日死去。65歳。東京出身。本名は奥村利夫。

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367日誕生日大事典 「勝新太郎」の解説

勝 新太郎 (かつ しんたろう)

生年月日:1931年11月29日
昭和時代;平成時代の俳優。勝プロダクション主宰
1997年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の勝新太郎の言及

【日本映画】より

…(1)長谷川一夫(1948‐52)(2)鶴田浩二(1952‐53)(3)山村聡(1952‐65)(4)岸恵子,久我美子,有馬稲子の〈にんじんくらぶ〉(1954‐66)(5)三船敏郎(1962‐ 。東京世田谷成城)(6)石原裕次郎(1963‐ )(7)三国連太郎(1963‐65)(8)勝新太郎(1967‐ )(9)中村錦之助(のち萬屋錦之介)(1968‐ )
【時代劇と現代劇】

[サイレント映画の頂点――時代劇の全盛時代]
 日本映画は1920年代後半,量産時代に入り,年間650本ほどの作品がつくられるようになった。まだサイレントの時代であり,全盛期には7000人の弁士がいたという。…

※「勝新太郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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