上福原村(読み)かみふくばらむら

日本歴史地名大系 「上福原村」の解説

上福原村
かみふくばらむら

[現在地名]米子市上福原

車尾くずも村の北、日野川西岸にあり、北は美保みほ湾に面する。古くは車尾のうちで、近世初期以来出雲堀尾氏浪人樋口政則や尾張浪人景山氏一門ら海池浪人によって開発が進められ、寛永一五年(一六三八)頃には車尾村新田と称された(「樋口兼政家譜」藩史など)。正保四年(一六四七)上福原と改称され、同年の伯州牢人被下米目録(同書)では納入を免除された当村牢人物成は田畑一二町四反余分計六〇石となっている。享和三年(一八〇三)新田村として独立(同書)。天保郷帳では海池かいけ村新田と注記される。下池の池田氏の給地があった(給人所付帳)


上福原村
かみふくはらむら

[現在地名]木造町福原ふくはら

田圃を隔てて北に近野ちかの村、南東吉野よしの(現森田村)、南に森田もりた(現森田村)、西に三原みはら村。

天和三年(一六八三)の広須御新田所図に「上福原」とみえる。しかし元禄三年(一六九〇)藤代組に属し「玉川村」として村位は下とある(平山日記)。享保一二年(一七二七)上福原村の名称で木造新田に編入され、山通三六ヵ村の一つとなったが、もと玉川村で藤代組に属していたとある(平山日記)。元文元年(一七三六)検地帳によれば、田畑屋敷合せて三五町五反一畝一一歩、村高一六二・八七四石とある。うち田方は二九町六反三畝二一歩で一五三・二二三石、上・下・下々田と設定され、下々田が二八町四反二畝一七歩、一四二・一二九石とあり、畑方は五町八反七畝二〇歩で九・六五一石、下畑と下々畑のみで、下々畑が五町一反七畝五歩、五・一七石とある。


上福原村
かみふくはらむら

[現在地名]作東町上福原

竹田たけだ村の北西、山家やまが川左岸に立地する。村内を出雲往来が通る。北は川崎かわさき村。正保郷帳に村名がみえ、田一五七石・畑五六石余。元禄一〇年(一六九七)の美作国郡村高辻帳では改出高三六石余・開高四石余、村位は中。津山藩森氏断絶後の領主の変遷は土居どい村と同様。「東作誌」によれば毛付高二二八石余、戸数四八、男一二二・女九六。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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