上船尾村(読み)かみふなおむら

日本歴史地名大系 「上船尾村」の解説

上船尾村
かみふなおむら

[現在地名]船穂町船穂

西高梁にしたかはし川の右岸に位置し、もとは下船尾村一村。現町域の南部を占める。中世一帯船尾(穂)郷と称され、暦応四年(一三四一)八月七日の摂津親秀譲状(志林証文)によれば、惣領能直に譲られているなかに船尾郷があり、同月一二日足利直義の安堵の外題を受けた。応永元年(一三九四)仮託の吉備津宮惣解文写(吉備津神社文書)によれば、船穂郷の加茂有枝が干魚五〇〇喉を納めている。また文安二年(一四四五)の「兵庫北関入船納帳」に「丹穂」がみえ、当地のことと考えられている。

寛永備中国絵図には「舟尾村」一村でみえ、高一千二〇三石。東の西阿知にしあち(現倉敷市)から当村を経て長尾ながお(現倉敷市)に抜ける街道が記され、鴨方かもがた往来にあたる。西高梁川の幅は六四間で渡しが置かれていた。舟尾村に南接して「舟尾村ノ内新田」とあるが、石高は記されていない。


上船尾村
かみふなおむら

[現在地名]いわき市常磐じようばん関船町せきふねまち

湯本ゆもと川下流に位置し、北はせき村、東は下船尾村、南は下湯長谷しもゆながや村。磐前いわさき郡に属した。近世領主変遷は磐城平藩領から延享四年(一七四七)以降幕府領。近世初期に船尾村が上・下に分れたと思われる。文禄四年(一五九五)の四郡検地高目録に舟尾村とみえ、高三二二石余。慶長一三年(一六〇八)の岩城領分定納帳(内藤家文書)では上舟尾村とあり、高五七四石余だが、この高には下船尾村の高を含んでいる。正保郷帳では田方四〇七石余・畑方一六六石余とあるが、下船尾村の村名がみえないので、その高を含んでいると思われる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

カイロス

宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が開発を進めるイプシロンSよりもさらに小さい。スペースワンは契約から打ち上げまでの期間で世界最短を...

カイロスの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android