湯沢市(読み)ユザワシ

デジタル大辞泉 「湯沢市」の意味・読み・例文・類語

ゆざわ‐し〔ゆざは‐〕【湯沢市】

湯沢

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日本歴史地名大系 「湯沢市」の解説

湯沢市
ゆざわし

面積:二〇〇・四三平方キロ

県最南部、奥羽山脈出羽丘陵の形成する断層谷を北流する雄物川横手盆地に入る所に位置する。北は平鹿ひらか郡十文字町、東は雄勝おがち稲川町皆瀬みなせ村、南は同郡雄勝町、西は同郡羽後町に接する。雄物川の東に沿って国道一三号(羽州街道)が走り、県南部の交通の要衝である。

天正一八年(一五九〇)頃と思われる「御年貢取り立て等その日記共の写」(色部文書)に最上氏への年貢納入地の一つとして「湯沢」の名がみえる。なお小野寺家系図(小野寺氏研究資料)によれば、雄勝郡稲庭いなにわ(現稲川町)に移住し、文永一〇年(一二七三)に死んだ小野寺経道の三男道定が「湯沢三郎」とよばれたという。鎌倉時代末期には湯沢の地に小野寺氏の一族が定着していたと思われる。

〔原始・古代〕

雄物川とその支流高松たかまつ川が形成する河岸段丘上に縄文後期の遺跡が点在する。土師器須恵器出土は雄物川氾濫原上の山田やまだ深堀ふかぼり地域にみられ、山田の円形竪穴住居跡内部には、炭化米の出土もみられる。

律令制の下で天平宝字二年(七五八)から翌年にかけて雄勝柵が築城された(続日本紀)多賀たが(現宮城県多賀城市)と秋田城を結ぶ中継の城として重要な役割を果したと思われるが、その位置を示す確証はない。

信仰の山として知られる平戈ひらほこ山・須川すかわ岳・東鳥海ひがしちようかい山が付近にあり、市域南部に古代末期から中世にかけての仏教に関する遺物が多く、雄物川左岸の松岡まつおかの経塚からは寿永三年(一一八四)と建久七年(一一九六)の銘のある経筒が出土し、山田周辺からは正和五年(一三一六)のものをはじめ七基の板碑がみられる。


湯沢市
ゆざわし

2005年3月22日:湯沢市と雄勝郡雄勝町・稲川町・皆瀬村が合併
【雄勝町】秋田県:雄勝郡
【皆瀬村】秋田県:雄勝郡
【稲川町】秋田県:雄勝郡
【湯沢市】秋田県

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「湯沢市」の意味・わかりやすい解説

湯沢〔市〕
ゆざわ

秋田県南東部にある市。北部を横手盆地が,東部を奥羽山脈断層崖が占め,雄物川および支流の皆瀬川,役内川流域に広がる。南は宮城県と山形県に接する。 1954年湯沢町岩崎町の2町と山田村三関村,弁天村,幡野村の4村が合体して市制。 1955年須川村を編入。 2005年稲川町,雄勝町,皆瀬村と合体。鎌倉時代に小野寺重道が湯沢城を築き,のち佐竹南家の城下町として発展。西部を雄物川が北流し,盆地産の米と良質の水を利用して酒がつくられ,「東北の灘」と呼ばれる。山林に恵まれ,林業が発達。製材,家具製造も盛んで,特に輸出向けの曲木細工の椅子は特産。ほかに稲庭うどん,川連漆器などの特産がある。南東部には秋ノ宮温泉郷など多くの温泉地があり,栗駒国定公園に属する。中央で JR奥羽本線と国道 13号線,398号線が交差する。面積 790.91km2。人口 4万2091(2020)。

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