中井正清(読み)なかいまさきよ

改訂新版 世界大百科事典 「中井正清」の意味・わかりやすい解説

中井正清 (なかいまさきよ)
生没年:1565-1619(永禄8-元和5)

江戸初期の大工。中井家の先祖巨勢(こせ)氏を称し,大和国三輪神社(大神神社)の神職であった。1538年(天文7)万歳氏に仕えていた巨勢正範が戦死し,その子の孫太夫は法隆寺西里村の法隆寺工匠中村伊太夫のもとで養われ,のち中井氏を名乗るようになった。正清は孫太夫の子として生まれ,藤右衛門と称し,88年(天正16)に徳川家康に謁見し,200石で召し抱えられた。その後500石に加増され,関ヶ原の戦の後,五畿内近江6ヵ国の大工,大鋸(おが),杣(そま)の支配を許され,1606年(慶長11)には従五位下大和守に任ぜられた。伏見城二条城,知恩院,江戸城駿府城,名古屋城,仙洞御所内裏など幕府が関与した大工事をつぎつぎに担当し,09年に1000石に加増,12年には従四位下に昇った。大工として活動しただけでなく家康の戦闘や政治にも関与し,大坂冬の陣のきっかけとなった方広寺大仏殿梵鐘銘事件の際,鐘銘と棟札(むなふだ)の写しを家康へ送ったのは正清である。正清が確立した幕府大工頭としての地位は,その後中井家が代々受け継ぎ,元禄期(1688-1704)に中井役所が組織され,幕末に至る。
大工
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「中井正清」の解説

中井正清 なかい-まさきよ

1565-1619 織豊-江戸時代前期の大工。
永禄(えいろく)8年生まれ。中井正吉の子。江戸幕府の初代京都大工頭(だいくがしら)。徳川家康につかえ,畿内(きない),近江(おうみ)6ヵ国の大工・大鋸(おが)支配をゆるされる。おもに幕府の工事を手がけ,伏見城,二条城,江戸城,駿府(すんぷ)城などの造営にたずさわった。元和(げんな)5年1月21日死去。55歳。大和(奈良県)出身。通称は藤右衛門。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「中井正清」の解説

中井正清
なかいまさきよ

1565~1619.1.21

織豊期~江戸初期の大工。初代京都大工頭。父は正吉。通称藤右衛門。大和国生れ。関ケ原の戦以降,徳川家康に仕えて五畿内近江6カ国の大工・大鋸(おが)支配となり,1606年(慶長11)従五位下大和守。09年1000石に加増。伏見城・江戸城・駿府城,江戸の町割,内裏,増上寺・方広寺・相国寺,久能山廟・日光廟など慶長から元和年間にかけての幕府の重要な建築工事にかかわった。

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世界大百科事典(旧版)内の中井正清の言及

【国役】より

…近世の国役は中世の一国平均役の系譜を引くものとして,幕府が一国規模で賦課する重要な課役一般を指す。そして国役の語は賦課される階層と課役の内容によって種々の意味をとるが,主要なものとしては農民と職人とを対象にして賦課されるものの2種がある。
[農民の国役]
 幕府による大規模普請や御用人馬の通行に際して関係諸国の幕領,私領一円の農民に国役が課された。
[治水国役]
 国役を動員して行われる河川普請は国役普請と呼ばれる。…

※「中井正清」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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