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中山陵 チュウザンリョウ

世界大百科事典 第2版の解説

ちゅうざんりょう【中山陵 Zhōng shān líng】

中国,南京市の東方,紫金山の南側山腹にある孫文(号は中山)の陵。広さ約8万m2。約400段の石段を上ると祭堂があり,入口正面に〈民族・民権・民生〉の文字が刻まれ,堂内の中央に孫文の大理石の座像,奥の霊堂に霊柩がある。1929年に完成し,25年以来北京市西郊の碧雲寺にあった孫文の遺体は移葬された。周辺の明孝陵・霊谷寺などを含む縦横30kmの中山陵園は,緑の多い風致地区である。【藤井 昇三】

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大辞林 第三版の解説

ちゅうざんりょう【中山陵】

〔「中山」は孫文の号〕
中国の南京市の東、紫金山の中腹にある、孫文の陵墓。

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世界の観光地名がわかる事典の解説

ちゅうざんりょう【中山陵】

中国の江蘇(こうそ)省の南京(ナンキン)市北部、紫金山中央部の第2峰、茅山の南麓にある、中国民主主義革命の父、孫文の陵墓。牌坊、参道、陵門と続き、最高段に瑠璃色に輝く祭堂がある。孫文は臨時大総統として執務した南京を気に入り、臨時政府発祥のこの地に埋葬するよう遺言を残したため、死後1周年目に陵墓が南京に定礎されて、1929年に完成した。孫文の亡骸を受け入れるため、民国政府は長江の第一埠頭から紫金山に至る総延長12kmの「迎柩大道」を新設し、街道の両側にはプラタナスが植栽された。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

中山陵
ちゅうざんりょう

中国の革命家、孫文(そんぶん/スンウェン)の墓。中山は孫文の号。孫文が1925年3月12日、自ら指導した国民革命のさなか北京(ペキン)に客死したが、蒋介石(しょうかいせき/チヤンチエシー)による北伐がひとまずなった27年6月1日、国民政府治下の南京(ナンキン)で国葬が行われ、29年南京郊外の紫金山の麓(ふもと)に北京より移葬された。陵墓は、1300余万アールの広さをもっており、青天白日旗を象徴する青瑠璃瓦(るりがわら)の屋根をもつ堂宇が山腹にそびえる大規模なもので、国民政府はここを聖域化することで自己の政権を権威づけた。国民政府は台湾に逃避(1949)後、台北に中山陵をつくったが、本物はいまでも南京にあり、中華人民共和国のもとで保存管理されている。[安藤彦太郎]

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