デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「中島勘左衛門」の解説
中島勘左衛門(初代) なかじま-かんざえもん
寛文2年生まれ。油勘六の子。貞享(じょうきょう)のころ江戸にでて敵役(かたきやく)をつとめ,宝永2年立役(たちやく)に転じた。正徳(しょうとく)6年2代市川団十郎の次位となり,技は団十郎をしのぐといわれた。正徳6年4月22日死去。55歳。大坂出身。俳名は是少,重師。号は芝楽園。屋号は中島屋。
中島勘左衛門(2代) なかじま-かんざえもん
元禄(げんろく)9年生まれ。初代中島勘左衛門の子。中島助六,のち中島勘六を名のり,享保(きょうほう)元年2代を襲名。立役(たちやく)から敵役(かたきやく)に転じ,寛延元年江戸敵役の首位となった。宝暦12年8月5日死去。67歳。江戸出身。俳名は是少,是好。屋号は中島屋。
中島勘左衛門(5代) なかじま-かんざえもん
5代市川団十郎の門弟。のち初代中村松江,4代中島勘左衛門に入門。寛政10年(1798)5代勘左衛門を襲名したが,翌年2代中村勘左衛門を名のる。敵役(かたきやく)を得意とし,半道と老役(ふけやく)をかねた。初名は市川小山三。前名は中村音三。俳名は島子。
中島勘左衛門(3代) なかじま-かんざえもん
元文3年生まれ。2代中島勘左衛門の子。3代中島勘六をへて,宝暦12年3代勘左衛門を襲名。江戸を代表する敵役(かたきやく)として重きをなした。寛政6年1月13日死去。57歳。江戸出身。幼名は伝之助。俳名は島子,是少。屋号は中島屋。
中島勘左衛門(4代) なかじま-かんざえもん
5代市川団十郎の門弟。寛政6年4代中島勘左衛門を襲名,翌年中島甚左衛門,ついで島野勘左衛門とあらためた。安永のころから端敵(はがたき)を専門とした。寛政8年死去。前名は市川富右衛門。俳名は島子。
中島勘左衛門(6代) なかじま-かんざえもん
5代松本幸四郎の門弟。のち5代中島勘左衛門の門にはいり,文政4年(1821)6代勘左衛門を襲名。敵役(かたきやく)を専門とした。初名は松本富蔵。前名は松本秀十郎。俳名は島子。