江戸後期の狂詩作者。京都の人。本名は畠中正盈。字は子充,号は観斎,通称は頼母(たのも)。狂詩作者として銅脈先生,あるいは片屈道人(へんくつどうじん)と名乗る。本業は聖護院宮に仕える公家侍であった。1769年(明和6),最初の狂詩集《太平楽府(たいへいがふ)》を刊行する。2年前に江戸で大田南畝が《寝惚(ねぼけ)先生文集》を刊行しており,狂詩を滑稽文学の一分野として確立する名作が東西呼応して出現したことから,一躍有名になった。以後,《勢多唐巴詩(せたのからはし)》(1771),《太平遺響》(1778)など狂詩集の発表を続ける。作風は,狭斜の巷の哀歓の描写の中に,鋭い風刺や知識人らしい自嘲をにじませたもので,狂詩史上の第一人者と称される。自分と同様の貧窮の公家侍の退廃的な生活を滑稽な筆致で冷たく暴露した《風俗三石士》(没後の1844年刊)など,滑稽小説にも佳作が多い。
→狂詩
執筆者:日野 竜夫
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(揖斐高)
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…本書の好評に刺激されて,以後狂詩集が続々と刊行されるようになった。2年後の69年,京都の銅脈(どうみやく)が《太平楽府(たいへいがふ)》を出す。銅脈は才気においては南畝に及ばないが,知識人らしい自虐と批判精神によって滑稽の中におのずと人生の哀歓を盛りこみ,作品の文学性においては南畝をしのぐ。…
…狂詩集。銅脈著。1769年(明和6)刊。…
※「銅脈」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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