コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

銅脈 どうみゃく

大辞林 第三版の解説

どうみゃく【銅脈】

銅の鉱脈。
にせがね。 「 -だと思つて出してやつたかねは/滑稽本・続膝栗毛」
にせもの。粗悪なもの。 「ああきつい-ぢや、突出しから十日も働かぬ間に、ぶら〱病で/浄瑠璃・難波丸金鶏」

出典|三省堂大辞林 第三版について | 情報

百科事典マイペディアの解説

銅脈【どうみゃく】

江戸後期の狂詩作者。畠中(はたけなか)氏。名は正盈,通称は政五郎,頼母(たのも)。号は観斎。狂号は銅脈(にせがねの意)のほかに太平館主人,片屈(へんくつ)道人

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト百科事典マイペディアについて | 情報

朝日日本歴史人物事典の解説

銅脈

没年:享和1.6.2(1801.7.12)
生年:宝暦2(1752)
江戸中・後期の狂詩作者。畠中氏。名は正盈,字は子允,通称は政五郎,頼母,号は観斎,狂号は銅脈先生,太平館主人,片屈道人など。讃岐国(香川県)の都築新助の子として生まれ,京都の 聖護院宮家に仕える畠中正冬の養子となった。那波魯堂に儒を学んだが,明和6(1769)年に『太平楽府』を出版して以来,江戸の寐惚先生(大田南畝)と併称され,狂詩作者として知られた。狂詩集にはこのほか『勢多唐巴詩』『吹寄蒙求』,寐惚との競詠集『二大家風雅』などがあり,その作風は寐惚の滑稽に対し,銅脈の諷刺と評される。狂詩以外にその諷刺の才能は,『針の供養』『太平楽国字解』『風俗三石士』などのような滑稽本にも発揮されている。しかし,単なる諷刺,滑稽の人ではなく,晩年には柴野栗山と和学の古典を考究し,蒲生君平らと陵墓の調査研究に従事するという一面もあった。<参考文献>森銑三「銅脈先生」(『森銑三著作集』2巻),中村幸彦「諷刺家銅脈先生」(『中村幸彦著述集』6巻)

(揖斐高)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について | 情報

世界大百科事典 第2版の解説

どうみゃく【銅脈】

1752‐1801(宝暦2‐享和1)
江戸後期の狂詩作者。京都の人。本名は畠中正盈。字は子充,号は観斎,通称は頼母(たのも)。狂詩作者として銅脈先生,あるいは片屈道人(へんくつどうじん)と名乗る。本業は聖護院宮に仕える公家侍であった。1769年(明和6),最初の狂詩集《太平楽府(たいへいがふ)》を刊行する。2年前に江戸で大田南畝が《寝惚(ねぼけ)先生文集》を刊行しており,狂詩を滑稽文学の一分野として確立する名作が東西呼応して出現したことから,一躍有名になった。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について | 情報

世界大百科事典内の銅脈の言及

【狂詩】より

…本書の好評に刺激されて,以後狂詩集が続々と刊行されるようになった。2年後の69年,京都の銅脈(どうみやく)が《太平楽府(たいへいがふ)》を出す。銅脈は才気においては南畝に及ばないが,知識人らしい自虐と批判精神によって滑稽の中におのずと人生の哀歓を盛りこみ,作品の文学性においては南畝をしのぐ。…

【太平楽府】より

…狂詩集。銅脈著。1769年(明和6)刊。…

※「銅脈」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について | 情報

銅脈の関連キーワード銭屋惣四郎(2代)寝惚先生文集中島棕隠畠中観斎畠中寛斎浄瑠璃

今日のキーワード

分水嶺

1 分水界になっている山稜(さんりょう)。分水山脈。2 《1が、雨水が異なる水系に分かれる場所であることから》物事の方向性が決まる分かれ目のたとえ。...

続きを読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android