中朝関係(読み)ちゅうちょうかんけい

日本大百科全書(ニッポニカ) 「中朝関係」の意味・わかりやすい解説

中朝関係
ちゅうちょうかんけい

中国(中華人民共和国)と北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)との関係。両国は、鴨緑江(おうりょくこう)と豆満江(とまんこう)(中国名は図們江(ともんこう))で国境を接する。

 北朝鮮(1948年9月9日建国)と、中華人民共和国(1949年10月1日建国)は中国の独立直後、1949年10月6日に国交を樹立した。1950年6月25日に勃発(ぼっぱつ)した朝鮮戦争は、9月15日にアメリカ軍主体の国連軍が仁川(インチョン)上陸作戦で北朝鮮への本格的な反撃を開始し、南北朝鮮の境界である北緯38度線を回復した後も北上を続け、北朝鮮軍を中朝国境近くまで追いつめた。北朝鮮側の強い要請を受け、中国の毛沢東(もうたくとう/マオツォートン)主席が「抗美援朝(朝鮮を助けて美国=アメリカと戦う、抗米援朝)」を掲げて派遣を決定した中国人民志願軍は、10月19日に北朝鮮領内に入った。朝鮮半島における内戦という位置づけにとどめるため、正規軍であることを示す人民解放軍という名称は用いられなかった。この戦争で中国は毛沢東の長男、毛岸英(マオアンイン)(1922―1950)を含む約17万人の戦死者を出したといわれ、両国関係は「血で結ばれた関係(血盟関係)」とよばれる。1953年7月27日の休戦協定には北朝鮮と中国、国連軍が署名した。その後、中国人民志願軍は北朝鮮からの段階的な撤退を開始し、1958年10月に完了した。

 1961年7月11日、中朝両国は北京(ペキン)で友好協力相互援助条約(正式名は「朝鮮民主主義人民共和国及び中華人民共和国間の友好協力及び相互援助に関する条約」)に調印。一方が外国から攻撃された場合に他方は軍事的に援助するという自動介入条項が含まれた軍事同盟条約である。中朝条約の5日前には、同様の条項が入ったソ朝友好協力相互援助条約がモスクワで締結されていた。金日成(キムイルソン)は中ソ論争のなかで両国を訪問し、双方との等距離外交を図ったのである。1962年10月12日には平壌(ピョンヤン)で中朝国境条約が締結され、白頭山(ペクトゥサン)(中国名は長白山)、鴨緑江、豆満江上の国境線が確定した。

 一方、1956年のスターリン批判に端を発した中ソ間のイデオロギー対立が激化し、1969年には国境問題をめぐる軍事衝突にまで発展していたが、北朝鮮は中ソ論争を契機に自主路線を歩むことになった。1966年以降の中国の文化大革命、1972年のアメリカ大統領ニクソンの訪中に象徴される米中接近に加え、毛沢東死後の1978年以降は中国が改革開放路線をとることにより、中朝関係には大きな溝が生じた。それでも社会主義体制を掲げるという共通点をもつ両国間には、映画分野などでの文化交流も維持された。

 中朝関係が決定的に悪化するきっかけとなったのは、1992年8月24日の中韓国交正常化である。盧泰愚(ノテウ)政権下の大韓民国(韓国)は、冷戦終結の流れのなかで社会主義国との関係正常化を進める「北方外交」を展開し、東欧諸国やソ連とはすでに国交を樹立していた。北朝鮮はこれに強く反発したばかりか、1994年7月に金日成が死去したこともあり、2000年5月の金正日(キムジョンイル)訪中まで最高指導者による往来が完全に止まった。その間も中朝同盟が破棄されることはなかったが、有事の際に自動介入条項が機能するかには疑問が残っている。

 2000年5月および2001年1月に実施された金正日訪中の答礼として2001年9月に江沢民(こうたくみん)国家主席が訪朝した際には、「継承伝統、面向未来、睦隣(ぼくりん)友好、加強合作」(伝統を継承し、未来に向かって、隣国と友好関係を深め、協力を強化する)という「十六字方針」が発表され、表面的であれ中朝関係の修復がアピールされた。その後、中朝貿易や中国による対北朝鮮投資が飛躍的に増大。金正日政権末期には、北朝鮮貿易総額に占める中国のシェアは9割以上に達した。とりわけエネルギー不足が深刻な北朝鮮は、原油の輸入を中国に頼っている。

 金正日が「最高領導者」として外遊したのは中国とロシアのみであり、とりわけ中国には2004年4月、2006年1月、2010年5月、2010年8月、2011年5月、2011年8月にも訪問している。2010年から翌2011年にかけて訪中の頻度が高まったのは、2008年8月に金正日の健康状態が悪化して以降、後継体制の準備が進んだことに伴うものと考えられている。

 2011年12月の金正日死去を経て、金正恩(キムジョンウン)政権が発足して間もない2012年4月および12月に「人工衛星打ち上げ」実験を行ったことに中国が反発。2013年1月に国連安全保障理事会が長距離弾道ミサイルの発射を非難する制裁強化決議を採択する際には中国も賛成した。決議の翌日から北朝鮮の外務省や国防委員会は、間接的な表現で中国を非難し、中朝関係は急速に悪化した。北朝鮮が核・ミサイル実験に邁進(まいしん)していた2017年5月には中国がアメリカの圧力に同調して制裁を強めているとして、「北朝鮮の尊厳と権利を犠牲にすることもいとわない大国中心主義」と名指しで批判するに至った。

 しかし、2018年3月にアメリカ大統領ドナルド・トランプが金正恩国務委員会委員長との史上初の米朝首脳会談開催の意向を明らかにするや、同月末には金正恩が「電撃的に」訪中して習近平(しゅうきんぺい)国家主席との間で初の首脳会談が開催された。その後両国は関係改善をアピールするようになり、6月に開催された米朝首脳会談に際して金正恩は、中国の航空機を借用してシンガポールに赴いている。

 両国を結ぶ存在として、中国朝鮮族がいる。中国国籍の朝鮮民族で、約200万人のうち半数近くが北朝鮮と国境を接する吉林(きつりん)省の延辺(えんぺん)朝鮮族自治州(州都は延吉(えんきつ))に住むという。韓国と北朝鮮以外では、日本の在日コリアンを超す最大の朝鮮民族コミュニティとなっており、自治州では、朝鮮語による教育、出版、放送などが行われている。中韓国交樹立後は、朝鮮族による韓国への出稼ぎが急増した。

[礒﨑敦仁 2020年10月16日]

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