日本大百科全書(ニッポニカ) 「中村立行」の意味・わかりやすい解説
中村立行
なかむらりっこう
(1912―1995)
写真家。神戸市生まれ。1950年代に造形的なヌード表現の第一人者として活躍、後年には都市風景のスナップショットなどでも独自の作風を見せた。1936年(昭和11)東京美術学校(現東京芸術大学)油絵科卒業。37年品川区立宮前小学校の図画専科教員となる。41年より写真撮影を始め、第二次世界大戦末期には学童疎開の引率教員として児童らの生活を記録撮影。戦後まもなくから写真雑誌への投稿を活発に行い、46年(昭和21)と47年『カメラ』誌で連続して月例欄の年度1位に選出される。47年教員を辞め、GHQ(連合国最高司令官総司令部)エデュケーション・センターの写真担当となる。50年美容雑誌『百日草』写真部に勤務。学生時代のヌード・デッサンの経験を生かしながら、造形性を重視した女性ヌードの撮影に取り組むようになり、写真雑誌などに作品を多数発表。52年よりフリーランスとなる。同年著書『ヌードフォトの研究』を刊行。54年2人以上のモデルを使った、フォルムの組み合わせによるヌードを集中的に撮影。55年からは、それまでもっぱら手がけてきた室内の人工照明のもとでの撮影だけでなく、小型カメラを用い自然光線のもとで空気感を導入したヌード表現にも新境地をひらいた。56年美術雑誌『アトリエ』別冊「画家とモデル」特集のため、浜村美智子(1938― 、翌年レコード歌手としてデビューし人気を博す)をモデルに撮影し、多大な反響を呼ぶ。同年秋山庄太郎、稲村隆正(1923―89)、杵島(きじま)隆、早田雄二(1916―95)、中村正也らと女性を主題とする写真家の集団「ギネ・グルッペ」結成。59年猪熊弦一郎の構成・文による『アトリエ』別冊「新しいヌード」特集のために撮影。
60年代以降、カラー・フィルムによるヌード表現にも取り組み、近接撮影を多用しエロティックな感覚の追求への傾斜を深めた作品群を、70年に新書判写真集『裸 NUDE』として上梓。またその一方で、戦前から親しんできた居住地の品川区大井町近辺を中心に、路上の光景などをスナップした一連の作品を、個展「路傍」(1973、キヤノンサロン、東京)、「街の灯」(1981、同)などで発表。晩年には第二次世界大戦前からのさまざまな撮影済みフィルムを再検討し、身辺のスナップ記録などの写真を新たに多数引き伸ばし、ヌードの代表作をまじえて写真集『昭和・裸婦・残景』(1991)としてまとめた。没後2000年(平成12)に品川区民ギャラリーで回顧展「写真家中村立行の仕事」が開催された。
[大日方欣一]
『『構図とトリミング』(1952・玄光社)』▽『『ヌードフォトの研究』(1952・双葉社)』▽『『ヌード撮影とその実技』(1955・玄光社)』▽『『裸 NUDE――その審美的追究』(1970・評論新社)』▽『『昭和・裸婦・残景』(1991・IPC)』▽『「中村立行作品展――昭和・裸婦・残景」(カタログ。1996・JCIIフォトサロン)』▽『『ヌードを写す』(現代カメラ新書)』