大正・昭和期の中国学者,中国古代思想研究者
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
大正・昭和期の中国学者、思想家。中江兆民の長男。東京帝国大学法科大学卒業後、1914年(大正3)袁世凱(えんせいがい)の顧問有賀長雄(ありがながお)の秘書として北京(ペキン)に赴き、永住した。19年の五・四運動の際、旧知の曹汝霖(そうじょりん)の命を救ったことは有名。このころより中国古代思想史の研究に傾注し、その研究は西園寺公望(さいおんじきんもち)や満鉄の援助を受けて進められたが、他方カント、ヘーゲル、マルクスを精読し、潜行中の片山潜や佐野学(まなぶ)らを助けた。中国革命の協力者鈴江言一(げんいち)も中江の薫陶を受けている。日中・太平洋戦争中、近衛文麿(このえふみまろ)首相や多田駿(しゅん)支那(しな)方面軍司令官らの招請を断り、市井の一生活者としての立場を固守し、日独の敗北を予言していたという。厳格な科学的合理主義とヒューマニスティックな批判的精神はまさしく兆民を継ぐものであった。死後に著書『中国古代政治思想』(1950)や、『中江丑吉書簡集』(1964)などが出ている。
[和田 守]
『阪谷芳直・鈴木正編『中江丑吉の人間像』(1970・風媒社)』
中江兆民の長男として大阪に生まれる。1914年東京帝国大学卒業後,袁世凱の顧問有賀長雄の助手として中国に渡り,その後死の直前までの約30年間を定職をもたずに北京で過ごす。1919年五・四運動のときには,親日的売国奴として攻撃された曹汝霖を助けた。この間《資本論》など社会科学書を精読しつつ中国古代史研究に従事。片山潜や市川正一らをかくまったり,鈴江言一の研究を援助したりした。日中戦争の間にも軍部に迎合せず,社会科学的現状分析によって日本の敗北を予見していた。その見識と高潔な人格を慕う者が多かった。蔵書約6800冊は〈中江文庫〉として,京都大学人文科学研究所へ寄贈された。遺稿《中国古代政治思想》(1950)がある。
執筆者:古厩 忠夫
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