鈴江言一(読み)すずえげんいち

改訂新版 世界大百科事典 「鈴江言一」の意味・わかりやすい解説

鈴江言一 (すずえげんいち)
生没年:1894-1945(明治27-昭和20)

中国国民革命にみずからもかかわった革命史研究者。島根県出身。米騒動に関係して明治大学に在学できなくなり,1919年五・四運動最中の北京に渡り《新支那》紙等で時事を論じた。やがて蘇兆徴,A.スメドレーらと交わり,国民革命の高揚した27年には革命の都武漢に赴いたが,31年国共分裂後,九死に一生を得て北京に帰った。その後は中江丑吉(うしきち)に師事し一転して学究生活に専念。みずからの体験と収集資料を生かして《支那無産階級運動史》(1929,のち《中国解放闘争史》と改題),《支那革命の階級対立》(1930),王枢之筆名による《孫文伝》(1931)などの著作を残した。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「鈴江言一」の意味・わかりやすい解説

鈴江言一
すずえげんいち
(1894―1945)

昭和期の社会運動家、中国研究者。ペンネームに王子言、王枢之など。島根県の衆議院議員の家に生まれたが、家業破産により苦学。東京の田坂法律事務所の書生となり明治大学別科に学ぶが中退。1919年(大正8)北京(ペキン)の邦字紙『新支那(しな)』の記者、21年国際通信社北京支局記者となる。このころより中国の革命家グループと交わり、中江丑吉(うしきち)を識(し)る。満鉄調査部、外務省対支文化事業部の研究生となり、『支那無産運動史』(1929)、『支那革命の階級対立』(1930)、『孫文伝』(1931)などを著した。27年(昭和2)武漢の汎(はん)太平洋労働会議に参加、コミンテルン使者として日本の左翼運動と連絡をとり、中国の革命運動にも密接なかかわりをもった。42年治安維持法違反容疑で逮捕され、まもなく釈放されたが、昭和20年結核のため死去した。

和田 守]

『衛藤瀋吉・許淑真著『鈴江言一伝』(1984・東京大学出版会)』

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百科事典マイペディア 「鈴江言一」の意味・わかりやすい解説

鈴江言一【すずえげんいち】

日本の中国革命史家。島根県生れ。若くして多くの職を遍歴。1918年の米騒動で官権追捕にあい明大を中退して中国へ渡り,国際通信社の北京支局員となる。中江丑吉との出会いをへて,北伐が始まると武漢地区に潜入,その経験をもとに1929年《中国無産階級運動史》,1931年《孫文伝》(王枢之の筆名)を発表し,中国革命を貫く精神を解明。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「鈴江言一」の解説

鈴江言一 すずえ-げんいち

1894-1945 大正-昭和時代前期の社会運動家,中国研究者。
明治27年12月31日生まれ。大正8年中国にわたる。中国共産党に入党し,革命運動に協力。のち中江丑吉(うしきち)のもとで研究につとめ,「中国無産階級運動史」「孫文伝」などをあらわす。昭和20年3月15日死去。52歳。島根県出身。明大中退。筆名は王子言,王枢之。

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