中田島砂丘
なかたじまさきゆう
天竜川河口の西側一帯に広がり、白羽の浜ともよばれる。東西約四キロ・幅約五〇〇メートルであるが、規模は徐々に縮小している。天竜川が運んだ土砂が沿岸洲を形成、この沿岸洲が海退に伴い海上面に現れ砂丘の基底をなす砂堤となり、次いで風波による飛砂の堆積により砂丘に発達した。「遠江国風土記伝」は向宿村・福地村・上中島村・馬領家村・三島村・楊子村・瓜内村・寺脇村・白羽村・中田島村・福塚村の一一村を一括りにし、沃土平地にして山石がなく、漁業を行い、海辺は浜松浦と総称するとしている。遠州灘沿岸では地引網漁・鰯漁が行われていた。松平忠頼領郷村帳や正保郷帳などによると、中田島村・白羽村・田尻村・堤村などに舟役、田尻村・法枝村・新橋村などに小網役が課せられている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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中田島砂丘
なかたじまさきゅう
静岡県南西部,浜松市南部の遠州灘に面した砂丘。東西 4km,南北 500m,高さ 15m余。風成砂が浜堤をおおうように堆積した大規模な砂丘。飛砂が激しいので海岸線は後退している。市立の海浜公園があり,5月の浜松祭の凧揚げ会場として知られる。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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