小説家。明治18年4月4日神奈川県西多摩郡羽村(はむら)(現東京都羽村市)に生まれる。本名弥之助(やのすけ)。小学校高等科卒業後、電話交換手や小学校教員となる。初めキリスト教の感化を受けるが、やがて平民社の社会主義に共鳴、日露戦争下の『乱調激韵(らんちょうげきいん)』は数少ない反戦詩の一つとして注目される。木下尚江(なおえ)と知り合い、また山口孤剣(こけん)、白柳秀湖(しらやなぎしゅうこ)らと雑誌『火鞭(かべん)』を創刊した。彼の思想傾向は漸次仏教への傾斜を深め、社会主義的傾向からの離脱が認められる。ユゴーやトルストイの文学に親しみ影響を受けた。1909年(明治42)、都(みやこ)新聞社に入り、処女作『氷の花』を新聞小説として書き、以来、同紙に『高野(こうや)の義人』などの時代小説を次々に発表。それらの積み重ねのうえで、13年(大正2)大作『大菩薩峠(だいぼさつとうげ)』が同紙上に現れる。日本の近代文学の主流をなす文壇文学とはまったく別種の文学世界の追究にほかならない。介山の生涯は、以後この作品の完成を目ざした文学精進のそれといってよいが、ほかに法然(ほうねん)を描いた『黒谷(くろたに)夜話』、聖徳太子を扱う『夢殿』(未完)などがある。晩年の異色作として、自伝的な感想記録文学『百姓弥之助の話』が注目される。生涯妻帯せず、性狷介(けんかい)にして容易に他人と妥協することなく、自己の信念に忠実に生き、第二次世界大戦中は日本文学報国会への入会勧誘も拒絶した。ひたすら『大菩薩峠』の続稿を続けようとしたが、太平洋戦争末期の昭和19年4月28日腸チフスのため60歳で永眠した。
[竹盛天雄]
『『中里介山全集』全20巻(1970~72・筑摩書房)』▽『尾崎秀樹著『修羅 明治の秋』(1973・新潮社)』▽『松本健一著『中里介山』(1978・朝日新聞社)』
小説家。神奈川県西多摩郡羽村(現,東京都)の生れ。本名弥之助。西多摩尋常高等小学校に学んだが,多くは独学である。12歳で上京,何度か帰郷・上京をくり返しながら電話交換手,代用教員などを勤めた。多摩の民権的気風の残照の中で育ち,キリスト教的社会主義の思想的洗礼を受け,日露開戦を機に反戦詩人として立つ。しかし戦後は懐疑的になって新たな宗教的模索をつづける。1906年《今人古人》を処女出版した後,都新聞社へ入社,新刊批評などを手がけ13年間在社,その間《氷の花》《高野の義人》などを同紙に連載,新聞小説の骨法を身につけた。大逆事件の弾圧に深く沈潜するものがあり,その思いをこめて13年より《大菩薩峠》を連載,大衆文学の一大巨峰を形づくった。しかし介山はこの作品が大衆文学とみなされるのをよろこばず,みずからは大乗小説,思想小説であると称した。ほかに《浄るり坂》《夢殿》《小野小町》などの長編もあるが,マスコミ的風潮を好まず,印刷機を購入して自家出版したこともあり,文壇からも離れ,独自な人生観,処世観をつらぬいた。多摩の各地に草庵を結び,敬天愛人克己をスローガンに塾教育を実践して西隣村塾を開いた。額に汗して耕しながら学ぶという考えは青年期にトルストイの影響を受けて以来のものであり,〈上求菩提(じようぐぼだい)・下化衆生(げけしゆじよう)〉の思想につながる。戦時下にも抵抗の意識を貫き孤高の態度を崩さなかった。44年腸チフスで急逝した。
執筆者:尾崎 秀樹
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明治〜昭和期の小説家
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(古田島洋介)
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1885.4.4~1944.4.28
明治~昭和前期の小説家。本名弥之助。神奈川県西多摩郡(現,東京都)出身。山口孤剣(こけん)らと交わり「平民新聞」に寄稿,反戦詩人として知られる。1905年(明治38)火鞭(かべん)会を結成。反戦の姿勢は42年(昭和17)の日本文学報国会加入拒否まで貫かれた。1913年(大正2)に起稿した「大菩薩峠」は大衆文学の先駆として広く読まれ,大乗思想の理解にもとづいた実践作でもあった。「中里介山全集」全20巻。
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…1905年(明治38)9月~06年5月まで9号発行され,《ヒラメキ》に合併。火鞭会発起人の児玉花外,小野有香,山田滴海,山口孤剣,中里介山,原霞外,白柳秀湖のほか,内田魯庵,木下尚江,徳田秋声などが執筆している。文学作品としては,かならずしも質の高いものばかりとはいえないが,〈批評を以て創作の隷属となすを弾劾し〉として批評のもつ意味を高めた。…
…中里介山の代表的長編小説。1913年に《都新聞》に連載されたのを皮切りに《東京日日新聞》《国民新聞》《読売新聞》《隣人之友》などに書き継がれ,書下ろしを加えて第41巻まで執筆されたが,44年に作者の病没で未完となった。…
※「中里介山」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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