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中里介山 なかざと かいざん

美術人名辞典の解説

中里介山

小説家。東京羽村生。名は弥之助、号は羽村子。はじめ社会主義に傾倒し、日露戦争下には「平民新聞」に反戦詩を発表する。明治39年都新聞社に入社、『氷の花』『島原城』などの連載小説を手がけ、代表作大菩薩峠』はのちの大衆文学に大きな影響を与える。のち郷里羽村に西隣塾を開き、文壇から離れて超然とした生活を送った。昭和19年(1944)歿、60才。

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百科事典マイペディアの解説

中里介山【なかざとかいざん】

小説家。本名弥之助。神奈川県西多摩郡羽村(現,東京都)生れ。木下尚江白柳秀湖らを知り,《平民新聞》などに寄稿。《都新聞》に入社し,のち社会部長に起用される。明治末から小説をこの新聞に連載しはじめ,《高野の義人》が出世作となった。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

中里介山 なかざと-かいざん

1885-1944 明治-昭和時代前期の小説家。
明治18年4月4日生まれ。電話交換手代用教員をつとめ,キリスト教や社会主義思想,トルストイの思想などに近づく。明治39年都新聞(東京新聞の前身)に入社し,大正2年から長編「大菩薩峠」(未完)を連載,虚無的な剣士机竜之助像で大衆文学におおきな影響をあたえた。昭和19年4月28日死去。60歳。東京出身。本名は弥之助。別号に羽村子,石雲生,遊於。作品はほかに「黒谷夜話」「百姓弥之助の話」など。

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朝日日本歴史人物事典の解説

中里介山

没年:昭和19.4.28(1944)
生年:明治18.4.4(1885)
明治から昭和時代の小説家。本名は弥之助。介山は号である。神奈川県西多摩郡(東京都)生まれ。父は弥十郎,母はハナ。西多摩小学校高等科卒。電話交換手,小学校教員を経て,日露戦争下の明治37(1904)年,反戦詩「乱調激韵」を発表。39年,都新聞社に入り,大正2(1913)年より長編小説『大菩薩峠』を『都新聞』その他に連載,昭和16(1941)年まで書き継ぐも未完。この大作は一般に大衆文学の先駆けと評価されるが,介山自身は「大乗小説」と称した。第2次世界大戦下の昭和17年,日本文学報国会への入会を拒否。旅を愛した孤高の作家で,晩年は農本主義に傾いた。著作集に『中里介山全集』全20巻(1970~72)がある。

(古田島洋介)

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世界大百科事典 第2版の解説

なかざとかいざん【中里介山】

1885‐1944(明治18‐昭和19)
小説家。神奈川県西多摩郡羽村(現,東京都)の生れ。本名弥之助。西多摩尋常高等小学校に学んだが,多くは独学である。12歳で上京,何度か帰郷・上京をくり返しながら電話交換手,代用教員などを勤めた。多摩の民権的気風の残照の中で育ち,キリスト教的社会主義の思想的洗礼を受け,日露開戦を機に反戦詩人として立つ。しかし戦後は懐疑的になって新たな宗教的模索をつづける。1906年《今人古人》を処女出版した後,都新聞社へ入社,新刊批評などを手がけ13年間在社,その間《氷の花》《高野の義人》などを同紙に連載,新聞小説の骨法を身につけた。

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大辞林 第三版の解説

なかざとかいざん【中里介山】

1885~1944) 小説家。東京西多摩生まれ。本名、弥之助。反戦詩人として出発。仏教的色彩の強い作品を多く著し、代表作の長編「大菩薩峠」は大衆文学に新時代を拓いた。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

中里介山
なかざとかいざん

[生]1885.4.4. 神奈川(現,東京)
[没]1944.4.28. 東京
小説家。本名,弥之助。高等小学校卒業後,電話交換手となり,独学で小学校教師となる。内村鑑三に私淑,村にキリスト教教会を起したりしたが,上京して木下尚江を知り『平民新聞』に寄稿。一方,仏教に関心をもち,参禅に通った。随想集『古人今人』 (1906) が田川大吉郎に認められて『都新聞』社会部長となり,同紙に小説『氷の花』 (09~10) ,『高野の義人』 (10) などを連載。『島原城』 (11) ,『室の遊女』 (11) ,『文覚』 (12) などでは仏法と煩悩の二元的分裂を提示。 1913年生涯の大作『大菩薩峠』の連載を始め,大衆文学に新時代を開いた。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

中里介山
なかざとかいざん
(1885―1944)

小説家。明治18年4月4日神奈川県西多摩郡羽村(はむら)(現東京都羽村市)に生まれる。本名弥之助(やのすけ)。小学校高等科卒業後、電話交換手や小学校教員となる。初めキリスト教の感化を受けるが、やがて平民社の社会主義に共鳴、日露戦争下の『乱調激韵(らんちょうげきいん)』は数少ない反戦詩の一つとして注目される。木下尚江(なおえ)と知り合い、また山口孤剣(こけん)、白柳秀湖(しらやなぎしゅうこ)らと雑誌『火鞭(かべん)』を創刊した。彼の思想傾向は漸次仏教への傾斜を深め、社会主義的傾向からの離脱が認められる。ユゴーやトルストイの文学に親しみ影響を受けた。1909年(明治42)、都(みやこ)新聞社に入り、処女作『氷の花』を新聞小説として書き、以来、同紙に『高野(こうや)の義人』などの時代小説を次々に発表。それらの積み重ねのうえで、13年(大正2)大作『大菩薩峠(だいぼさつとうげ)』が同紙上に現れる。日本の近代文学の主流をなす文壇文学とはまったく別種の文学世界の追究にほかならない。介山の生涯は、以後この作品の完成を目ざした文学精進のそれといってよいが、ほかに法然(ほうねん)を描いた『黒谷(くろたに)夜話』、聖徳太子を扱う『夢殿』(未完)などがある。晩年の異色作として、自伝的な感想記録文学『百姓弥之助の話』が注目される。生涯妻帯せず、性狷介(けんかい)にして容易に他人と妥協することなく、自己の信念に忠実に生き、第二次世界大戦中は日本文学報国会への入会勧誘も拒絶した。ひたすら『大菩薩峠』の続稿を続けようとしたが、太平洋戦争末期の昭和19年4月28日腸チフスのため60歳で永眠した。[竹盛天雄]
『『中里介山全集』全20巻(1970~72・筑摩書房) ▽尾崎秀樹著『修羅 明治の秋』(1973・新潮社) ▽松本健一著『中里介山』(1978・朝日新聞社)』

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世界大百科事典内の中里介山の言及

【火鞭】より

…1905年(明治38)9月~06年5月まで9号発行され,《ヒラメキ》に合併。火鞭会発起人の児玉花外,小野有香,山田滴海,山口孤剣,中里介山,原霞外,白柳秀湖のほか,内田魯庵,木下尚江,徳田秋声などが執筆している。文学作品としては,かならずしも質の高いものばかりとはいえないが,〈批評を以て創作の隷属となすを弾劾し〉として批評のもつ意味を高めた。…

【大菩薩峠】より

中里介山の代表的長編小説。1913年に《都新聞》に連載されたのを皮切りに《東京日日新聞》《国民新聞》《読売新聞》《隣人之友》などに書き継がれ,書下ろしを加えて第41巻まで執筆されたが,44年に作者の病没で未完となった。…

※「中里介山」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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