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日本文学報国会 にほんぶんがくほうこくかい

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

日本文学報国会
にほんぶんがくほうこくかい

文学者団体。第2次世界大戦下,日米開戦 (1941) の約半年後に内閣情報局大政翼賛会の勧奨により日本文芸家協会を解体してできたもので,文学活動に対する国家統制の手段であった。8部会,約 3100名を擁し,1942年5月 26日に創立総会が行われ,内閣情報局次長によって,常任理事に久米正雄中村武羅夫,理事に長与善郎ら 16名,各部会の部会長,幹事長などが指名された。さらに6月 18日の発会式では,徳富蘇峰が会長となり,戦時下における文学者の決意宣誓があって,内閣情報局第5部3課の指導監督を受ける政府の外郭団体として発足。3回にわたる大東亜文学者大会の開催,『愛国百人一首』『国民座右銘』の選定などを行なった。 45年8月 31日解消。

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百科事典マイペディアの解説

日本文学報国会【にほんぶんがくほうこくかい】

第2次大戦中につくられた国策的文学者団体。1942年―1945年。情報局第5部第3課指導下,大政翼賛会内閣情報局後援によって成立。国策の周知徹底,宣伝普及に挺身し,その施行実践に協力することを目的とする総動員体制の一環。
→関連項目大日本言論報国会百人一首

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世界大百科事典 第2版の解説

にほんぶんがくほうこくかい【日本文学報国会】

第2次大戦中につくられた文学者の戦時組織。会長は徳富蘇峰。戦争目的達成のため,大政翼賛会内閣情報局の後援によって1942年5月につくられ,6月には発会式がおこなわれた。文芸家協会などを吸収し,3000名以上の会員が,小説,詩歌,評論,国文学,外国文学などの専門部会に分かれて活動した。初め参加をためらった者も,のちには作品発表の場を失う結果を恐れて加わったので,会員であることが文学者の資格であるような観を呈した。

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大辞林 第三版の解説

にほんぶんがくほうこくかい【日本文学報国会】

1932年(昭和7)内閣情報局の指導の下に結成された、文学者の国策推進のための一元的組織。45年解散。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

日本文学報国会
にほんぶんがくほうこくかい

文学団体。太平洋戦争下の1942年(昭和17)5月、日本文化の顕揚を目的に、全文学者が大同団結して結成された。内閣情報局と大政翼賛会の勧奨によるもので、文学活動に対する統制であった。会長は徳富蘇峰(そほう)。小説、劇文学、評論随筆、詩、短歌、俳句、国文学、外国文学の八部会からなり、会員約4000名を擁した。おもな事業として、大東亜文学者大会の開催や、文芸報国講演、傷病兵慰問文芸運動などを行い、また、『愛国百人一首』(短歌部会)、『国民座右銘』(評論随筆部会)の選定、『大東亜戦作品集』の出版選定などがあった。いずれも文学による戦意高揚、国策宣伝のためのもので、終戦直後解散した。[大久保典夫]

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