明治~昭和期の文学者、史論家。明治17年1月7日、静岡県引佐(いなさ)郡気賀(きが)町(現、浜松市北区細江(ほそえ)町)に生まれる。本名は武司(たけし)。筆名は哲羊生(てつようせい)、曙(あけ)の里人(さとびと)。1907年(明治40)早稲田(わせだ)大学文学科哲学部を卒業。在学中より同郷の先輩村松楽水(らくすい)の影響を受け、足尾鉱毒事件などの社会問題に関心を寄せ、平民社の運動に参加。1905年には『火鞭(かべん)』を創刊、『駅夫(えきふ)日記』で社会主義の新しい世代として注目される作家・社会批評家となった。大逆事件の起きた1910年『町人の天下』を刊行。山路愛山(やまじあいざん)の史論を継ぐ史家としても活躍した。代表作に『財界太平記』『西園寺公望(きんもち)伝』『民族日本歴史』などがある。かたわら社会講談を創案し、また『坂本龍馬(りょうま)』などの大衆文学も執筆した。十五年戦争期には、戦争協力の立場をとったため、晩年は孤独であった。1950(昭和25)11月9日死去。
[松島榮一]
『白柳夏男著『戦争と父と子――白柳秀湖伝』(1971・日本商工出版)』
明治〜昭和期の小説家,評論家,史論家
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
社会主義文学の先駆者,在野の史論家。本名武司。静岡県引佐郡気賀町(現浜松市,旧細江町)に生まれる。早稲田大学文学部哲学科に在学中から社会主義運動に接近,1904年には加藤時次郎主宰の〈直行団〉に参加したり,週刊《平民新聞》などにも執筆。翌年プロレタリア文学運動のさきがけと評される火鞭会(かべんかい)を山口孤剣らと結成。大逆事件後,《週刊サンデー》の編集のかたわら売文社員となり,堺利彦らの《へちまの花》創刊に参加したが,以後はしだいに史論や社会講談に力点を移した。《親分子分俠客篇》《親分子分浪人篇》《大日本閨閥史》《財界太平記》《社会展開の動力》《維新革命前夜物語》等の史論は,アカデミー史学に拮抗する白柳史学を形づくるとさえいわれた。26年社会民衆党結成に参加,42年日本文学報国会理事となり,戦後公職追放になった。
執筆者:栄沢 幸二
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…1905年(明治38)9月~06年5月まで9号発行され,《ヒラメキ》に合併。火鞭会発起人の児玉花外,小野有香,山田滴海,山口孤剣,中里介山,原霞外,白柳秀湖のほか,内田魯庵,木下尚江,徳田秋声などが執筆している。文学作品としては,かならずしも質の高いものばかりとはいえないが,〈批評を以て創作の隷属となすを弾劾し〉として批評のもつ意味を高めた。…
※「白柳秀湖」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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