久保泉丸山遺跡(読み)くぼいずみまるやまいせき

日本歴史地名大系 「久保泉丸山遺跡」の解説

久保泉丸山遺跡
くぼいずみまるやまいせき

[現在地名]佐賀市久保泉町くぼいずみまち大字川久保かわくぼ

丸山と通称される、脊振せふり山南麓の低地との比高さ約一〇メートル、標高三五〜四〇メートルの舌状台地に位置し、縄文時代晩期から弥生時代・古墳時代にかけての墳墓が複合した遺跡である。遺構は縄文時代晩期から弥生時代前期にかけての支石墓一一八基、甕棺墓四基、箱式石棺墓三基、土坑墓一〇基、古墳一二基、集石墓二基、古墳時代土坑墓一基である。支石墓が一〇〇基以上群集するのは、日本列島では最大規模である。支石墓の内部施設は、土坑あるいは木棺と考えられる。木棺の底板を支持した石敷きのあるものがある。古墳は竪穴式石室・石棺・横穴式石室など、内部施設は多様である。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「久保泉丸山遺跡」の意味・わかりやすい解説

久保泉丸山遺跡 (くぼいずみまるやまいせき)

佐賀市久保泉町にある縄文時代晩期から弥生時代前期にかけての支石墓を中心とした埋葬跡と5~6世紀の古墳群とからなる複合遺跡。丸山遺跡ともいう。脊振山地の南麓に派生する標高38m,面積約3000m2の小丘陵にあって,支石墓は約150基あり,遺体を入れる内部施設は土壙や甕棺で,縄文時代晩期後半(山の寺式土器)~弥生時代前期の小型の壺,甕,高杯,鉢が副葬されている。なかでも縄文時代晩期の夜臼(ゆうす)式土器には籾の圧痕がある。古墳は径15m内外の円墳が10基あるが,内部施設として,竪穴式石室,横穴式石室,舟形石棺,石棺系石室,竪穴系横口式石室など変化に富んでいる。副葬品として,鉄剣,鉄矛,鉄斧,勾玉,管玉および琴柱形石製品がある。遺跡は,長崎自動車道の建設で破壊されることになったため,遺跡全体をそっくり500m西方の公園に移設している。
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