日本歴史地名大系 「久保泉丸山遺跡」の解説
久保泉丸山遺跡
くぼいずみまるやまいせき
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
佐賀市久保泉町にある縄文時代晩期から弥生時代前期にかけての支石墓を中心とした埋葬跡と5~6世紀の古墳群とからなる複合遺跡。丸山遺跡ともいう。脊振山地の南麓に派生する標高38m,面積約3000m2の小丘陵にあって,支石墓は約150基あり,遺体を入れる内部施設は土壙や甕棺で,縄文時代晩期後半(山の寺式土器)~弥生時代前期の小型の壺,甕,高杯,鉢が副葬されている。なかでも縄文時代晩期の夜臼(ゆうす)式土器には籾の圧痕がある。古墳は径15m内外の円墳が10基あるが,内部施設として,竪穴式石室,横穴式石室,舟形石棺,石棺系石室,竪穴系横口式石室など変化に富んでいる。副葬品として,鉄剣,鉄矛,鉄斧,勾玉,管玉および琴柱形石製品がある。遺跡は,長崎自動車道の建設で破壊されることになったため,遺跡全体をそっくり500m西方の公園に移設している。
執筆者:高島 忠平
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...