久喜(市)(読み)くき

日本大百科全書(ニッポニカ) 「久喜(市)」の意味・わかりやすい解説

久喜(市)
くき

埼玉県東部にある市。1971年(昭和46)市制施行。市名は中世以来の郷村名による。2010年(平成22)、南埼玉郡菖蒲町(しょうぶまち)、北葛飾(きたかつしか)郡栗橋町(くりはしまち)、鷲宮町(わしみやまち)を合併。市街地や一部地域が低い台地である以外は、大部分が古利根(ふるとね)川(葛西用水路)、利根川、中(なか)川、星(ほし)川、備前堀(びぜんほり)川をはじめとする河川や用排水路が流れる沖積低地からなる。JR東北本線(宇都宮線)と東武鉄道伊勢崎(いせさき)線、日光線が通るほか、国道4号、122号、125号が通じ、東北自動車道と圏央道が久喜白岡ジャンクションで交差し、東北自動車道の久喜インターチェンジ、圏央道の白岡菖蒲インターチェンジがある。中心市街地は江戸時代は市場町で、木綿(もめん)や穀物の取引が行われた。栗橋地区は江戸時代は日光(奥州)道中の宿場町として栄えた。また、利根川の渡船場でもあり、関所も置かれた。鷲宮地区は鷲宮神社門前町、菖蒲地区は水陸交通の要衝として賑わいをみせ、どちらも江戸時代は穀物や木綿を中心とする市が立った。1728年(享保13)井沢弥惣兵衛(やそべえ)は、おもに星川の水路を利用した見沼代用水(みぬまだいようすい)を開き耕地が開発された。現在は埼玉ナシの主産地であるほか、米、野菜、ソバなどの生産が多い。近年は住宅が増加し、久喜・菖蒲(しょうぶ)工業団地も造成されて、都市化が進んでいる。足利政氏館(あしかがまさうじやかた)跡(甘棠院(かんとういん))は県指定史跡で、甘棠院には国の重要文化財の紙本著色伝貞厳和尚(ていがんおしょう)像と、県の文化財の足利政氏像がある。鷲宮神社には国の重要無形民俗文化財である催馬楽神楽(さいばらかぐら)が伝わり、境内には寛保(かんぽう)治水碑が建つ。また樹齢300年のフジ(県指定天然記念物)のある菖蒲神社、菖蒲城趾あやめ園などがある。そのほか県の旧跡として神道(しんとう)無念流の戸賀崎(とがさき)氏練武遺跡がある。八雲神社の祭礼として、7月に提灯祭(ちょうちんまつり)が行われる。面積82.41平方キロメートル、人口15万0582(2020)。

[中山正民]

『『久喜市史』全7巻(1986~1992・久喜市)』


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