九世戸(読み)くせのと

精選版 日本国語大辞典 「九世戸」の意味・読み・例文・類語

くせのと【九世戸】

[一] 京都府宮津市文殊付近の旧称。日本三文殊の一つ、智恩寺切戸文殊堂)がある。
[二] 謡曲脇能物観世流。観世小次郎信光作。朝臣が丹後国九世戸の法会(ほうえ)参詣に行くと、老漁夫が現われて、九世戸のいわれを語り、自分は文殊菩薩に仕える採桑老人であるといって消える。やがて天女が天から降り、龍神海中から浮かび出て舞をまう。

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報

日本歴史地名大系 「九世戸」の解説

九世戸
くせど

[現在地名]宮津市字文珠

天橋立の智恩ちおん寺東方で切れた部分を九世戸(渡)、また切戸きれと(渡)とよび、橋立を北方大天橋だいてんきよう南方小天橋しようてんきように分ける。

呼称の由来には諸説あり、「宮津府志」は「和漢三才図絵曰、相島神代九世時始メテ 出来、故九世、又名切戸」とする。「丹後与謝海図誌」は「丹後国風土記」逸文の「天椅立」に伊射奈芸命が天に通うために立てた椅が倒れ、海上に横たう浜地になったことから「さきを天の椅立と名づけ」、その霊異すなわち「久志備ます」によって「しり久志くしの浜と名づく」とあるのを由来とする。

智恩寺は九世戸の文殊堂、また単に九世戸ともよばれ、丹後国田数帳の与謝郡に寺領として九世戸二町三六歩とみえるのをはじめ数ヵ所記される(→智恩寺

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報