北から南に延びる天橋立の先端に向かい合う形で建つ。正門は南面する。
五台山と号し、臨済宗妙心寺派、本尊文殊菩薩は日本三文殊の一といわれる。
寺伝によれば延喜年間(九〇一―九二三)の創立、本堂扁額「智恩寺」は醍醐天皇の筆という。一説に中国五台山の文殊菩薩を勧請したとも伝える。
「拾芥抄」に「智恩寺丹後九世ノ戸、文殊天竜、六斎供灯明云々」とみえる。九世戸文殊として早くから知られ、中世にはお伽草子の「梵天国」に、京都
と述べ、その霊験が知られる。足利義満も至徳三年(一三八六)から応永一四年(一四〇七)に至る約二〇年間に六回もこの地を訪れている(「東寺王代記」「教言卿記」)。
丹後国田数帳には与謝郡に九世戸二町三六歩、「石河庄」のうちに九世戸御免が二町、「稲富保」内に九世戸四段、「大仏寺」の一町を九世戸御免と、計五町四段三六歩の寺領をあげている。なお現与謝郡
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
京都府宮津市にある臨済宗妙心寺派の寺。天橋山と号する。天橋立(あまのはしだて)の南岸にあってはるかに成相(なりあい)寺と相対する景勝の地にある。本尊文殊菩薩(鎌倉期,重要文化財)の霊験は,謡曲《九世戸(くせのと)》《丹後物狂(ものぐるい)》でも知られ,日本三文殊の一つとされる。切戸(きれと)の文殊堂,九世戸(くせど)の文殊堂と俗にいう。寺伝によると延喜年間(901-923)の開創,鎌倉末期に真言宗から臨済宗に転じ,近世初期に妙心寺派に属し,寺領50石をもった。諸堂のうち2層の多宝塔(重要文化財)は1500年(明応9)府中城主の延永春信の建立。ほかに室町期の石仏や板碑が境内に多くあり,また本堂や庫裏には酒造,造船,和歌,俳諧,和算,砲術などを描いた多数の近世絵馬があって,当寺が室町期以降,文殊信仰と天橋立遊覧の流布によって貴賤の信仰を集め,丹後文化の中心となって繁栄したことをしのばせている。寺宝のうち,元の至治2年(1322)の銘をもつ青銅製金鼓(重要文化財)は有名である。
執筆者:藤井 学
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
京都府宮津市文珠(もんじゅ)、天橋立(あまのはしだて)桟橋の近くにある臨済宗妙心寺派の寺。山号は天橋山(てんきょうざん)。本尊文殊菩薩(もんじゅぼさつ)は日本三文殊の一つといわれる。通称切戸(きれと)の文殊、九世戸(くせど)の文殊とよばれる。創建年代は明らかではないが、一説に808年(大同3)平城(へいぜい)天皇の勅願によって創建されたという。嘉暦(かりゃく)年中(1326~29)嵩山(すうざん)が禅寺に改めたと伝える。寛永(かんえい)年中(1624~44)宮津藩主京極高広(きょうごくたかひろ)が別源(べつげん)を招いて再興させた。多宝塔(国重要文化財)は1500年(明応9)の造立。文殊堂本尊の文殊菩薩像・脇侍(きょうじ)善財童子・優闐(うてん)王像は鎌倉時代の作で、国重要文化財。徹書記(てつしょき)の筆といわれる仮名縁起1巻、1486年(文明18)の九世戸智恩寺幹縁疏(かんえんそ)1巻など寺史を語る文書がある。また境内には和泉(いずみ)式部の歌塚、智恵の輪灯籠(ちえのわとうろう)、マリア灯籠などがある。
[菅沼 晃]
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…国分には丹後国分寺跡(史),大垣には丹後一宮とされた籠(この)神社があり,府中と呼ばれるこの一帯は古代丹後国府の所在地と考えられている。天橋立の南の文珠(もんじゆ)には〈九世戸(くせど)の文殊〉として信仰された智恩寺がある。海岸部の多くは若狭湾国定公園に含まれる。…
※「智恩寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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