了翁道覚(読み)りょうおう・どうかく

朝日日本歴史人物事典 「了翁道覚」の解説

了翁道覚

没年宝永4.5.22(1707.6.21)
生年:寛永7.3.18(1630.4.30)
江戸前期の黄檗僧。初名は祖休。夢で製法を得た錦袋円という薬の売り上げで,江戸の不忍池畔に公開図書館(勧学寮)を造営和漢の仏教典籍や儒書をはじめ,物語草子に至るまでの3万余巻を収め,講師を招いて講義を行った。さらに,天台,真言,禅の3宗21カ寺に『大蔵経』を寄進し,あわせて経蔵(経典を収納する建物)や維持費も寄付した。自らは質素に甘んじつつも,多くの寺院を造修築したほか,江戸や京都宇治での大火災のときには巨額を投じて救済活動に当たった。<参考文献>森本三鎧「了翁」(『禅文化』18号)

(吉田剛)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「了翁道覚」の意味・わかりやすい解説

了翁道覚
りょうおうどうかく

[生]寛永7(1630).3.18.
[没]宝永4(1707).5.22.
江戸時代中期黄檗宗僧。日本で図書館を独力で設立した最初の人。幼くして出家し参禅苦行した。感じるところあって男根を切断,苦痛に耐えながら,夢で薬方を知り,みずから調剤して治した。その薬を綿袋円と呼んで江戸市中に売り,財をなし七千余函の書を求め,江戸不忍池に一島を築いて文庫建立。さらに寛永寺,瑞聖寺に勧学寮,文庫を建て,全国 24寺に大蔵経を寄進した。元禄7 (1694) 年黄檗山に天真院を創立主著『開堂録』。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「了翁道覚」の解説

了翁道覚 りょうおう-どうかく

1630-1707 江戸時代前期-中期の僧。
寛永7年3月18日生まれ。黄檗(おうばく)宗。隠元隆琦(りゅうき)に師事。錦袋円と名づけた薬をうってえた富で,上野寛永寺に大蔵経を寄進し勧学寮を建立。山城(京都府)万福寺に天真院,自得院を創建し,高泉性潡(しょうとん)の印可をうけた。宝永4年5月22日死去。78歳。出羽(でわ)雄勝郡(秋田県)出身。俗姓は鈴木。著作に「開堂録」。

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367日誕生日大事典 「了翁道覚」の解説

了翁道覚 (りょうおうどうかく)

生年月日:1630年3月18日
江戸時代前期;中期の黄檗僧
1707年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報