改訂新版 世界大百科事典 「事務所建築」の意味・わかりやすい解説
事務所建築 (じむしょけんちく)
企業や自治体などの組織体が,その中枢管理機能を果たすために必要な事務をとるための空間を有する建築。今日では,会計,文書作成,通信,情報保管,計画立案,情報交換,意志決定といった情報収集,処理,管理を行うための施設であるといえる。事務所建築は大きく分類すると企業自身がみずから専用に使用する自社ビルと,複数の企業が一つの建物を賃借して共同で使用する貸ビル,さらには地方自治体や官庁などがもっぱら使用するための庁舎建築などに分類される。
沿革
事務所建築は産業革命以後,商業・経済活動の興隆と成長に伴い,企業がその業務や形態を整備するに従って典型的な形で登場してきたものである。19世紀の初め,当時の商業活動の主要都市であったロンドンやリバプール,シカゴやニューヨークでは,商会,損保,銀行といった業種の自社事務所建築がすでに登場していたといわれている。一方,日本においては,19世紀の終りから財閥による貸事務所建築が東京で建設され始め,三菱第1号館は1892年に着工している。19世紀の終りに,シカゴではシカゴ派と呼ばれる建築技術者たちが鋳鉄を建物の骨組みや窓枠に使用して,大型の高層事務所建築を建設し始め,これらの高層建築は1930年代にニューヨークに登場するウールウォース・ビルやエンパイア・ステート・ビルといった超高層事務所建築の技術的第一歩となった。これらアメリカの建設技術をとり入れて,日本でも1923年丸の内ビルディングや旧郵船ビルディングといった大型の事務所建築が建設されていった。さらに第2次世界大戦後,人工照明や空調設備の実用化とともに,外装材としてのアルミや大型ガラスが建築にも採用されるようになると,それまで自然条件によっていた執務環境は大幅に改善され,一方,企業規模の拡大や多様化に伴う組織の変化に追従すべき事務室空間の建築計画的なフレキシビリティーが要求されるようになった。このような背景のもとアメリカの国連ビル(1947)やシーグラム・ビル(1958)に見られるようなコアの概念(コア構造)とユニバーサルな事務室空間,さらには新しい素材によるカーテンウォールの表現による現代的な事務所建築が多く登場した。
現代の事務所建築
このように事務所建築は,その時代の社会,経済の要求を反映しながら時代の生産技術を基盤にした最先端建築技術の象徴でもあった。日本においてもアメリカの流れを受けて東京や大阪といった大都市に大型の事務所建築が建設されていったが,建築基準法によって建物の高さ(絶対高さ)が31mに制限されていたため,いたずらに投資効率のみを求めて敷地いっぱいに建てる建物が多かった。しかし,大都市の無秩序な発展による都市環境の混乱と悪化は,建物の高層化の気運をもたらして,1961-63年にかけて絶対高さの撤廃,特定街区制度の新設などの法的整備が行われた後,日本最初の超高層事務所建築である霞が関ビル(1968,147m)が誕生した。合理的な事務室空間をもつ,構造的にも防災計画上も安全性の高い霞が関ビルは,その後新宿副都心に建設された新宿三井ビル(1974,210m)をはじめとする一連の超高層建築群の出発点となるものであった。
→超高層建築
執筆者:村尾 成文
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報