日本大百科全書(ニッポニカ) 「二世問題」の意味・わかりやすい解説
二世問題
にせいもんだい
二世とは移住先で生まれた移民の子をさす。移民は普通、その移住前から受け入れ国に定住して支配的な多数派を構成している人口集団とは、多かれ少なかれ異なる扱いを受けるが、その影響はなんらかの形で二世にも及ぶ。この状況に起因する諸問題が二世問題である。近現代に限っていえば、大規模かつ長期にわたる移住に伴う二世問題は、典型的には華僑(かきょう)と印僑にみいだせる。日本では、アメリカ大陸(おもにアメリカ合衆国、カナダ、ブラジルなど)の日系人、在日外国人(圧倒的多数は在日朝鮮人)、および、帰化や通婚によって日本国籍を取得した人々のなかに、身近な二世問題が存在する。多様な移民を中心として成立した社会、たとえばアメリカ合衆国、カナダ、オーストラリアなどでは、複数の異質な二世集団が併存しており、二世問題のもつ比重はきわめて大きい。アメリカ合衆国では、日系米人が有色人移民のなかでも目だった存在であるところから、その一世、二世、三世という日本語がそのままIssei、Nisei、Sanseiとして英語に定着し、また、第二次世界大戦前に同国に生まれ、日本で学校教育を受けて帰国した日系二世を表す英語の呼称はKibei(帰米)である。
一部の例外を除いて、今日、地球上のたいていの社会が二世問題を抱えている。二世問題は基本的には移民問題であり、かつ、移民の送り出しと受け入れは、国際関係、人種・民族関係、各国の政治・経済・法律・文化、および、移民の階層・教育・技術・言語・宗教・性別・年齢などに規定され、しかもこれらの諸要因は時代とともに変化する。こうした複雑な条件のなかで一世が得た多様な成果や失敗を、二世が継承発展ないし拒否し、これに対して受け入れ側が肯定的にか否定的に対応し、さらに、個人差の大きい資質や努力も作用して、二世問題は展開してきた。したがってこれを単純に概括化することはむずかしいが、大まかな傾向を指摘することはできる。まず、一世における性比の不均衡(男が多く女が少ない)と貧困、低い教育程度が、普通は二世において改善され、家族生活が安定する。一世は普通、市民権・参政権・出入国・土地保有などの法制度、就職・教育・居住地選択などの機会均等、通婚、言語使用、母語による出版・学校経営などにおいて、制度上ないし私的に、なんらかの制約か圧迫を受けている。したがって一世の多くは、自衛と相互扶助のために、人種、民族、言語、出身地などに基づく出身母体別に固まりやすく、このことが受け入れ側への参入を妨げている。
この制約と圧迫は、一般に二世の世代には緩和され弱体化する。この変化には、一世に比べて暮らしが向上した二世の、居住国への適応や教育・技術の向上が有利に作用している。大部分の二世は受け入れ側への同化に積極的であり、ときには過剰同調さえもみられるくらいである。しかし二世は、好むと好まざるとにかかわらず、一世からの直接的な影響によって、とくに言語、家族観、結婚、料理、日常の交際などについては多かれ少なかれ母文化を捨てきっていない。そのなかで、彼らは受け入れ文化への適応ないし同化に努め、ときには母文化と受け入れ文化との橋渡し役を期待される。この結果、二世はしばしば二つの異質文化のはざまにたって揺れ動き、一世との間にもギャップを抱えて、心理的にも葛藤(かっとう)をもちやすい。これが政治の分野を通して頂点に達した一例が、第二次大戦に参戦した日系、ドイツ系、イタリア系の米人二世である。
[鈴木二郎]
『今野敏彦・藤崎康夫編著『移民史 I~Ⅲ』(1984~86・新泉社)』