日本歴史地名大系 「二村郷」の解説
二村郷
ふたむらごう
- 香川県:丸亀市
- 二村郷
古代
仁治二年(一二四一)三月二五日、貞慶の高弟である奈良西大寺の戒如は書状をもって、当郷の文書相伝および師貞慶の所存を尊遍・定光に伝えている(九条家本「振鈴寺縁起」紙背文書)。同書状によると元久年間(一二〇四―〇六)当郷内荒野を興福寺五重塔の寺領として立庄しようとした貞慶は、その領主藤原貞光より小野法印定勝の女子へ寄付させることで願いを果した。前掲尊遍申状案に「両条地主文書相伝由之間、即被申入 後 処、速御奉免畢」とあって、七・八両条内荒野の立庄は後京極殿下とよばれた摂政藤原良経が讃岐国の知行国主であった時期であり、良経が讃岐国を知行したまま没したのは元久三年のことであるから時期的にも符合する。
二村郷
ふたむらごう
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報