五郎山古墳(読み)ごろうやまこふん

精選版 日本国語大辞典 「五郎山古墳」の意味・読み・例文・類語

ごろうやま‐こふん ゴラウやま‥【五郎山古墳】

福岡県筑紫野市原田(はるだ)にある装飾円墳。径約二五メートル。横穴式石室玄室の壁に赤・黒・緑の三色を用い、人物群像・騎馬像その他が描かれている。国指定史跡

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日本歴史地名大系 「五郎山古墳」の解説

五郎山古墳
ごろうやまこふん

[現在地名]筑紫野市原田

宝満ほうまん川西岸の独立丘陵上にある古墳時代後期の円墳。昭和二二年(一九四七)に発見されて石室などが調査され、同二四年に国指定史跡となった。平成七年(一九九五)・同八年には整備に伴う発掘調査が行われた。墳丘は二段築成で径三一・八―三二・五メートル、墳丘の現比高は六・二メートル。墳裾には周溝を巡らせている。石室は横穴式石室の三室構造で、玄室と前室に人物・動物・武具・船など多くの壁画が四色の顔料で描かれているのが特徴である。

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国指定史跡ガイド 「五郎山古墳」の解説

ごろうやまこふん【五郎山古墳】


福岡県筑紫野市原田にある古墳。五郎山と称される丘陵上に営まれた円墳で、径約35m、高さは約6m。1947年(昭和22)に偶然発見され、内部から須恵器(すえき)などが検出され、1948年(昭和23)には盗掘坑が陥没して、横穴式石室の内部に壁画が発見された。翌1949年(昭和24)に国の史跡に指定され、1984年(昭和59)に追加指定と一部解除があった。古墳時代後期の円墳は、全長11.2mの石室が羨道(せんどう)、前室、後室からなる北部九州特有の複室構造をしている。壁画は前室から後室への通路、および後室の全体に描かれ、器物図形、人馬の図像などの図柄は優雅で、赤、黒、緑で描かれている。人物、船、騎馬、家、馬、靫(ゆぎ)、動物、同心円などが配置され、古代人の精神構造をうかがわせていたが、その後退色して現在では判読がむずかしい。JR鹿児島本線原田駅から徒歩約10分。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「五郎山古墳」の意味・わかりやすい解説

五郎山古墳
ごろうやまこふん

福岡県筑紫野(ちくしの)市原田の五郎山にある古墳。丘陵上に位置する径25メートルの古墳時代後期の円墳で、1948年(昭和23)盗掘坑が陥没して、横穴式石室の内部に壁画が発見された。石室は羨道(せんどう)、前室、後室からなる北部九州特有の複室構造である。壁画は前室から後室への通路、および後室の全体に描かれており、器物の図形、人馬の図像などがある。その図柄はあたかも叙事詩をみるかのようで、赤、黒、緑で描かれた壁画は自由奔放で、表現は生き生きとしている。人物、屋形船、騎馬、家、馬、靭(ゆき)、動物、同心円などの配置も自由で、古代人の精神構造をうかがわせるものがある。その後退色して現在ではほとんど壁画をみることができない。49年国の史跡に指定された。

[佐田 茂]

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世界大百科事典(旧版)内の五郎山古墳の言及

【装飾古墳】より

… 横穴式石室の壁面に彩色による壁画を描いたものでは,同心円,三角形,蕨手文(わらびでもん)などの抽象的文様と,靫,盾,大刀,舟などの器物と,人馬犬鳥などとの,大別すれば3種類の要素を組み合わせて用いている。たとえば,福岡県日ノ岡古墳のように,抽象的文様を主とするもの,福岡県王塚古墳のように,主室の壁画は器物を主として抽象的文様を加え,前室の壁画は人馬像を主として,余白を抽象的文様でうずめたもの,福岡県五郎山古墳のように,器物と人馬犬鳥とを用いたものなどの,各種の組合せを見いだすことができる。関東地方の茨城県虎塚古墳の場合は,靫,盾,鞆(とも),大刀,矛などの器物と,三角形,円文,渦文などの文様との組合せであるが,赤1色を用いた彩画に先立って,壁面に白色粘土の下塗りを行っているのが特色である。…

※「五郎山古墳」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」