井筒町(読み)いづつちよう

日本歴史地名大系 「井筒町」の解説

井筒町
いづつちよう

[現在地名]伊丹市中央ちゆうおう三丁目

伊丹町を構成する二七ヵ町の一つ。ほん町筋西の路地を挟んだ両側町で、米屋こめや町の南に位置する。文禄伊丹之図には町名はないが町並は描かれ「文禄慶長之比十五ケ町」とあるのに、町名は一四しか記されておらず、「有岡古続語」には文禄期(一五九二―九六)の町名としてみえる。会所入用割の間数は七九間(「正心調法記」武田家文書)。元禄元年(一六八八)当町から出火して一六〇軒焼失(有岡庄年代秘記)


井筒町
いづつちよう

下京区北小路通新町西入

東西に通る北小路きたこうじ(旧北小路)を挟む両側町。

平安京の条坊では、左京七条三坊二保三町南側と四町北側の地。「坊目誌」には、文正年間(一四六六―六七)、当町南側の地に細川家の支流である細川下野入道常忻の邸宅があったが、応仁元年(一四六七)八月の兵火で焼亡したと記される。

近世には西本願寺寺内町となり、寺内九町組のうち艮組に所属。地子屋敷町。町名は、寛永一四年(一六三七)洛中絵図に「太鼓番屋筋三丁目」と記されるが、寛文五年(一六六五)刊「京雀」、元禄末期洛中絵図、宝暦一二年(一七六二)刊「京町鑑」にはすべて「井筒町」と記される。


井筒町
いづつまち

[現在地名]大津市中央ちゆうおう一丁目

中京なかきよう町の北の中町通丸屋まるや町を結ぶ小路にある横町。元禄八年町絵図に町名がみえ、家数二〇には京町と共同の番屋屋敷が含まれる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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