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交鈔 こうしょうjiao-chao; chiao-ch`ao

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

交鈔
こうしょう
jiao-chao; chiao-ch`ao

中国,宋,の諸王朝で発行使用された紙幣。宋では交抄,交子会子,銭引などと呼ばれ,金,元では交鈔,明では宝鈔の名が使われ,略して鈔,または抄といわれた。宋では初め約束手形として民間で発行使用されたが,天聖2 (1024) 年に政府が交子務を設けて発行し,兌換にそなえて私造を禁じてから,紙幣としての性格をもった。南宋では会子が発行され,華北が金の支配下に入ると,金では紙幣として交鈔が発行され,元ではこれにならい主要通貨の位置を占めた。中統1 (1260) 年に発行された中統元宝交鈔 (10文~2貫までの9種) では鈔2貫を銀1両にあて,兌換機関の交鈔庫 (行用庫) などがおかれていた。しかし発行額が年々増大し,銀準備の不足で交鈔の下落をきたしたが,元では比較的よく流通していた。明では洪武8 (1375) 年に大明宝鈔 (100文~1貫までの6種) が発行され,銅銭と兼用されたが,宝鈔は当初から不換紙幣であったため,その価格 (鈔1貫=銀1両) を維持することが困難であり,永楽帝のときには多年の外征による乱発でインフレが激化した。これに対し政府は民間の金銀の交易を禁止し,税収入による宝鈔の回収などの処置をとったがその効果がなく,明中期以後は鈔1貫が銀3厘という暴落で,ほとんど無価値となり,政府も民間の銀使用を公認せざるをえなくなった。

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デジタル大辞泉の解説

こう‐しょう〔カウセウ〕【交×鈔】

中国の代に使用された紙幣の総称。代の交子(こうし)から発達したもので、明代のものは特に宝鈔(ほうしょう)という。

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百科事典マイペディアの解説

交鈔【こうしょう】

中国,金・元・明代に発行された紙幣。金では宋にならって紙幣を発行,銅銭の不足を補ったが,乱発されて価値下落を招いた。元では交鈔を唯一の法定通貨として紙幣単本位制を採用したが,ここでも乱発された。

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世界大百科事典 第2版の解説

こうしょう【交鈔 Jiāo chāo】

中国,金・元・明の各王朝で発行,使用された紙幣。明では宝鈔という。鈔は書券,交はつき合わせて真偽を確かめるという意味。宋代の四川では,富豪が組合を作り,現金を預かって交子という約束手形を発行していたが,宋朝はそれを官営化し,制度を整備して紙幣の機能を持たせた。交鈔の起源は,この交子に求められる。紙幣が銅銭に代わって主要通貨となるのは元代からである。この背景には,素材としての銅の涸渇,そしてとりわけ宋以降の都市内における貨幣経済の普遍化,専売制の強化による信用経済の確立などの要因があった。

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大辞林 第三版の解説

こうしょう【交鈔】

中国、金・元代の紙幣。宋代の交子こうしから発達したもので、兌換だかん紙幣として通用したが、明代にすたれた。
(転じて)紙幣のこと。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

交鈔
こうしょう

中国で宋(そう)代におこり、金(きん)、元(げん)、明(みん)と継承され、清(しん)代に衰えた紙幣。明代には宝鈔(ほうしょう)とよんだ。11世紀の初め、四川(しせん)に民間の交換手形として交子(こうし)が現れ、1023年に交子務(こうしむ)が成都に置かれて官営の紙幣となり、1107年から銭引(せんいん)と改称され、ほぼ全国に流通した。交(こう)は交換の意、引(いん)は塩や茶などの証券の用語からおこった。南宋は紙幣を会子(かいし)とよんだが、華北を支配した金(きん)は宋に倣って交鈔を1150年以来発行した。大鈔(たいしょう)は1、2、3、5、10貫、小鈔(しょうしょう)は100、200、300、500、700文、流通期間は7年、章宗(しょうそう)(在位1189~1208)以後はこの期間制限も廃した。金(きん)は、銅資源に乏しく銀を貨幣に多用したが、財政の膨張とともに紙幣を乱発し、額面価値の下落や物価騰貴を招いた。1215年貞祐宝券(ていゆうほうけん)が発行されたころには紙幣1貫は現金1文ほどに下落し、政府は銅銭の流通を禁じたので、銅銭は海外に密輸された。こうして銀が主要貨幣となった。元は金(きん)の制度を受け、1236年以来交鈔を発行した。中統元宝(ちゅうとうげんぽう)交鈔(10文~2貫文)、至元通行(しげんつうこう)宝鈔(5文~2貫文)はその代表である。初めは制度も整い、兌換(だかん)準備の銀錠(ぎんじょう)も豊かで、年間70万錠あまり流通したが、1270年代からインフレとなり、1350年以後は乱発となり、この間、東南アジアやペルシアにも流通した。明も元の制を受け、大明(だいみん)宝鈔(100文~1貫文)を1375年に発行した。これは不換紙幣で銅銭と併用されたが不評であり、紙幣は下落して、銅銭と銀錠が主要な通貨となった。[斯波義信]
『彭信威著『中国貨幣史』(1965・上海人民出版社)』

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世界大百科事典内の交鈔の言及

【鈔法】より

… その運用方式を一般的に述べると,鈔引の発行発売に当たっていたのは京師の榷貨務(かくかむ)(中央専売局),入中地は河北・河東・陝西三路の州軍と京師の榷貨務および折中倉(せつちゆうそう),入中したのは見銭(現銭),金銀絹帛,糧草(粟,麦,豆,藁草)で,このいずれを入中させるかは時々の条例で定められていた。三路の州軍で入中を受けると,その品目・価格等を抄記した手形(交抄,交鈔,交引)を交付し,京師榷貨務で見銭を支払うかもしくは鈔引を換給して,その価格を償還していた。榷貨務で支払いに用いられた見銭は,本務に入中された鈔引の代価および本務が兼営する地方州軍支払いの為替取組み(便換(べんかん))の入納銭であった。…

※「交鈔」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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