近世居合剣術の一流派。今枝流理方(りかた)剣術、理方一流(いちりゅう)ともいう。寛永(かんえい)(1624~44)のころ、丹後(たんご)宮津の京極(きょうごく)氏の家臣今枝弥右衛門良重(やえもんよししげ)・四郎左衛門良正父子が、浅山一伝流、伯耆(ほうき)流など居合諸流を修得し、さらにくふう研究を重ねて一流に編成したもので、その手数は居合35、外物(とのもの)立合10をはじめ総極意三か条まで合計131手を基本とする。1666年(寛文6)主家が改易されたため、長子良正は浪人となって江戸に出て道場を開き、のち近江(おうみ)膳所(ぜぜ)の本多家に仕え、禄(ろく)300石を与えられた。次子左仲良堅(さちゅうよしかた)と三子市右衛門良次は鳥取池田家の重臣荒尾志摩に仕え、伯耆の倉吉に住み、流儀の発展を図った。良堅の子良台(よしもと)(1646―1702)は10歳のころから父に従って厳格な修業に入り、廻国(かいこく)修業ののち、江戸に出て伯父良正のもとで流儀の奥秘を極め、かたわら新陰、樫原(かしはら)、起倒など刀槍棒柔(とうそうぼうじゅう)の諸流の伝習に努め、理方(理法)の深化を図った。この間、摂津高槻(たかつき)の永井日向守(ひゅうがのかみ)直清に仕えたが、仕官の身では修業不十分として辞任し、伯父の下谷御徒(したやおかち)町の道場を受け継いで理方一流の唱導に努め、当時江戸屈指の達人といわれた。なお今枝の門流は、上記鳥取、倉吉、膳所をはじめ、仙台、作州津山、伊賀上野などに広がった。
[渡邉一郎]
『山根幸恵著『鳥取藩剣道史』(1982・渓水社)』
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