日本歴史地名大系 「今浜村」の解説
今浜村
いまはまむら
敦賀湾奥、
正保三年(一六四六)五月の御所辻子今浜出入之事(松島西野家文書)に
と記す。漁業の比重は大きく、寛文七年(一六六七)の敦賀郡内総舟数二二六のうち当村は二八艘を占める(寛文雑記)。享保一二年(一七二七)の敦賀郷方覚書によれば、庄屋久右衛門(持高三二石余、庄屋役両藩兼務)、牛馬銀一六匁余、睦月銀一五匁、海役銀二六匁余、入草銀一一匁余、櫛川御林松葉代米二石余、馬足六匹、家数一二四、うち高持三二・無高七七・寺一五、人口五〇六、舟数一〇。
今浜村
いまはまむら
正保郷帳の高三七八石余、田方二〇町七反余・畑方四町五反余、免四ツ二歩、新田高一八八石余(免三ツ八厘)。寛文一〇年(一六七〇)の村御印によると高五七三石、免四ツ五歩、新田高一三石、小物成は山役二二三匁、鳥役一〇目(出来)、網役一一九匁(ほか二三匁退転)、猟船櫂役八五匁(うち一五匁出来)、外海船櫂役一四匁(出来)、末森山下刈役三九匁で地子銀五三匁が課せられた(三箇国高物成帳)。天保年間(一八三〇―四四)の村明細では高六一八石となり、新開高九二石、家数二一三(うち頭振一四八)・人数一千二四六、馬二五、稼は引網・苧・駄賃・日雇で、新たに一八〇匁の伝馬役を賦課されている。なお地子銀は
今浜村
いまはまむら
- 滋賀県:守山市
- 今浜村
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報