任侠映画(読み)にんきょうえいが

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「任侠映画」の意味・わかりやすい解説

任侠映画
にんきょうえいが

日本映画の一ジャンル。1960年代から 1970年代前半にかけて,東映の京都撮影所を中心に量産された,やくざを中心とした映画。やくざ映画と同義の場合もあるが,通常は明治から昭和初めを時代背景に,着流し姿の主人公ががまんを重ねて最後に義理人情に駆られてかたき討ちをするという筋書きが多く,現代物は含まない。『人生劇場 飛車角』(1963)が最初とされ,この映画のヒットで東映は低迷していた時代劇(→時代劇映画)から任侠路線に切り替えた。東映では大川博社長と岡田茂京都撮影所所長が俊藤浩滋をプロデューサーに起用,笠原和夫,村尾昭らの脚本家と,石井輝男,加藤泰,佐伯清,マキノ雅弘(マキノ雅広),山下耕作らの監督が活躍した。「博徒」「日本侠客伝」「昭和残侠伝」「博奕打ち」「緋牡丹博徒」などのシリーズが大ヒットし,鶴田浩二高倉健若山富三郎,菅原文太,藤純子(富司純子に改名)などがスターとして大衆や学生から圧倒的な支持を得た。他社では日活の高橋英樹主演「男の紋章」シリーズ,大映勝新太郎「悪名(あくみょう)」シリーズ,市川雷蔵主演「若親分」シリーズなどがつくられた。任侠路線が飽きられ始めた頃,1973年の東映『仁義なき戦い』(深作欣二監督,菅原文太主演)のヒットとそのシリーズ化で,東映は任侠映画から実録映画へと路線を転換した。

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世界大百科事典(旧版)内の任侠映画の言及

【東映[株]】より

…60年代の映画産業の急速な衰退で,他社が深刻な経営危機に直面するなかで,よくこれをしのぐことができたのは,こうした経営政策による蓄積が大きい。製作面でも,時代劇から任俠映画路線に主力を転換させ,高倉健,鶴田浩二,藤純子,若山富三郎,菅原文太らのスターを育て,マキノ正博らのベテランをはじめ,加藤泰,深作欣二,鈴木則文,山下耕作などの娯楽作品にすぐれた手腕を発揮する監督を起用,さまざまなやくざ映画や実録映画のシリーズを成功させた。劇場用映画の製作・配給以外にも,洋画配給,テレビ映画製作,不動産部門などの多くの関連企業をもち,多角的な経営を続けている。…

※「任侠映画」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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