明治七年(一八七四)姿見町裏の埋立によってできた町で、初めは一―二丁目だけであった(神奈川県布達)。吉田橋を経て
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
横浜市中区にある商店街。「ザキ」の愛称で親しまれている。JR根岸線、市営地下鉄関内(かんない)駅の西に東西約1.3キロメートルにわたって続く繁華街。かつてこの通り一帯は大岡川下流の三角州、沼沢地で、江戸前期に江戸の商人(吉田勘兵衛(かんべえ))によって干拓された吉田新田であったが、明治初期にここの伊勢屋文蔵(いせやぶんぞう)と花咲(はなざき)町の佐々木次平が協力して開発にあたったのが町名のおこり。幕末の開港後、関内地区が外人居留地とされていたが、その買い物町として伊勢佐木町が開かれた。関東大震災や第二次世界大戦の戦災を受け、戦後は長くアメリカ軍に接収されていたが、復興し、現在、デパートやレストラン、服飾雑貨など流行の先端を知らせる専門店が集まっている。東入口の吉田橋(日本最初の鉄橋)は幕末に攘夷(じょうい)を唱える武士による外国人襲撃事件が頻発し、その対策として出入者取締りのために設けられた関門の跡である。入口のウェルカムゲートは1999年(平成11)にリニューアルされ、愛称を「ブラントーレ」とした。このゲートをはじめ、街路の交差点にあわせて10基のゲートがあるのもここの町並みの特色。
[浅香幸雄]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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[市街地の展開と繁華街]
横浜の市街地の形成は関内地区から始まり,古くからの弁天通りや,国鉄横浜駅(現,JR桜木町駅)と港とを結ぶ馬車道に沿って,いわゆる文明開化の先駆けとなった商社が立ち並んだ。その後,大岡川の三角州の水田が埋め立てられて伊勢佐木町が生まれ,横浜一の繁華街となった。〈ザキ〉の名で愛称され,当時東京の銀座と並ぶ東日本の代表的な町並みであった。…
※「伊勢佐木町」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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