伊勢佐木町(読み)いせざきちょう

精選版 日本国語大辞典 「伊勢佐木町」の意味・読み・例文・類語

いせざき‐ちょう ‥チャウ【伊勢佐木町】

横浜市中区の地名。JR関内(かんない)駅近くの繁華街

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デジタル大辞泉 「伊勢佐木町」の意味・読み・例文・類語

いせざき‐ちょう〔‐チヤウ〕【伊勢佐木町】

横浜市中区の地名。東西に長い繁華街。

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日本歴史地名大系 「伊勢佐木町」の解説

伊勢佐木町
いせざきちよう

[現在地名]中区伊勢佐木町一―七丁目・長者ちようじや町六―七丁目

吉田新田よしだしんでん村の中央、派大岡はおおか(中村川)に架かる関内かんないの入口の吉田橋より西南に延びる町。

明治七年(一八七四)姿見町裏の埋立によってできた町で、初めは一―二丁目だけであった(神奈川県布達)。吉田橋を経て馬車道ばしやみちへ直結したため同九年にはつた座が一丁目角に設けられ、同一五年にはにぎわい座・いさみ座などの芝居小屋や、大弓場・見世物場・勧工場・飲食店などができて繁華の町となった。この年に高島たかしま(現西区)にあった遊郭が永楽えいらく町・真金まがね(現南区)に移転したため、関内から遊郭への通り道になり、二丁目から先、まつ町・賑町・長島ながしま町へ一直線に通ずる通りは伊勢佐木町通と称され、同二〇年代以降はますます繁盛し、芝居・寄席・飲食店・遊技場など、ありとあらゆる商店が軒を並べ、横浜における代表的な繁華街となり、さらに同三〇年代には東京の浅草あさくさ、大阪の千日前せんにちまえと並ぶ大繁華街と称された。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「伊勢佐木町」の意味・わかりやすい解説

伊勢佐木町
いせざきちょう

横浜市中区にある商店街。「ザキ」の愛称で親しまれている。JR根岸線、市営地下鉄関内(かんない)駅の西に東西約1.3キロメートルにわたって続く繁華街。かつてこの通り一帯は大岡川下流の三角州、沼沢地で、江戸前期に江戸の商人(吉田勘兵衛(かんべえ))によって干拓された吉田新田であったが、明治初期にここの伊勢屋文蔵(いせやぶんぞう)と花咲(はなざき)町の佐々木次平が協力して開発にあたったのが町名のおこり。幕末の開港後、関内地区が外人居留地とされていたが、その買い物町として伊勢佐木町が開かれた。関東大震災や第二次世界大戦の戦災を受け、戦後は長くアメリカ軍に接収されていたが、復興し、現在、デパートやレストラン、服飾雑貨など流行の先端を知らせる専門店が集まっている。東入口の吉田橋(日本最初の鉄橋)は幕末に攘夷(じょうい)を唱える武士による外国人襲撃事件が頻発し、その対策として出入者取締りのために設けられた関門の跡である。入口のウェルカムゲートは1999年(平成11)にリニューアルされ、愛称を「ブラントーレ」とした。このゲートをはじめ、街路の交差点にあわせて10基のゲートがあるのもここの町並みの特色。

[浅香幸雄]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「伊勢佐木町」の意味・わかりやすい解説

伊勢佐木町
いせざきちょう

神奈川県東部,横浜市中区北部の地区。 JR根岸線関内駅の西方にある。外国人向けの元町に対し,日本人向けの高級商店街として発展。第2次世界大戦後,建物や周辺一帯をアメリカ軍に接収されて復興が遅れたが,横浜を代表する繁華街となった。 1961年日本で初めて歩行者天国実施

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世界大百科事典(旧版)内の伊勢佐木町の言及

【横浜[市]】より


[市街地の展開と繁華街]
 横浜の市街地の形成は関内地区から始まり,古くからの弁天通りや,国鉄横浜駅(現,JR桜木町駅)と港とを結ぶ馬車道に沿って,いわゆる文明開化の先駆けとなった商社が立ち並んだ。その後,大岡川の三角州の水田が埋め立てられて伊勢佐木町が生まれ,横浜一の繁華街となった。〈ザキ〉の名で愛称され,当時東京の銀座と並ぶ東日本の代表的な町並みであった。…

※「伊勢佐木町」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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