明治期の初めに登場して関東大震災のころまで普及した,商品の陳列・即売場。現在のデパートに近い役割を果たした。その始まりは,政府の殖産興業政策の方針にそって東京府が1878年1月,麴町(現,千代田区)辰の口に常設の商品陳列場として東京府勧工場を開設したことにある。その前年,東京上野公園で開催された第1回内国勧業博覧会に展示された出品物も,そこに移されて陳列された。当時の出品点数合計35万点,入場者合計5200人余りといわれる。また,下谷区(現,台東区)竹町に第二勧工場も設置された。勧工場は当初東京府立であったが,後に民営に移された。さらに1882年には神田区(現,千代田区)表神保町に南明館,ついで88年には芝公園内に東京勧工場も開設され,多数の観覧者を集めた。内部のようすは,中央の通路の両側に呉服,化粧品,小間物,陶器,玩具,漆器,文具などの商品がならび,後に正札販売,現金取引の方法で市民生活の要求にこたえ,好評であった。しかし,1900年代になって各地にデパートなどが発展してくると,営業不振におちいって衰退の方向をたどり始め,東京では関東大震災を契機に姿を消した。また大阪などでも,新世界に勧商場として登場したことがあるが,それも大正末期には廃止された。
執筆者:石塚 裕道
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百貨店、マーケットの前身。第1回内国勧業博覧会の残品処分のため、1878年(明治11)1月、東京府が、丸の内に竜ノ口(たつのくち)勧工場を開場したときに始まる。日用雑貨、衣類などの良質商品が1か所で定価販売されたので人気を得た。82年ごろから主要都市に大小の勧工場(関西では勧商場)が乱立した。多くは民営で、複数商人への貸し店舗形式の連合商店街であった。1907年(明治40)以後には、品質低下や百貨店の進出により、経営不振に陥って衰退したが、正札の定価販売に実績を残した。
[原島陽一]
『初田亨著『百貨店の誕生』(1993・三省堂)』▽『鈴木英雄著『勧工場の研究――明治文化とのかかわり』(2001・創英社)』▽『田中政治著『勧工場考』新訂版(2003・田中経営研究所)』
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