伊藤みどり(読み)いとうみどり

日本大百科全書(ニッポニカ) 「伊藤みどり」の意味・わかりやすい解説

伊藤みどり
いとうみどり
(1969― )

フィギュアスケート選手。8月13日生まれ。愛知県名古屋市出身。6歳からフィギュアスケート競技会への参加を開始し、1980年(昭和55)、小学校4年生のときに全日本ジュニア選手権で優勝。同じ年にシニアの全日本選手権で3位となる。難易度の高いジャンプを次々とこなす実力に対し、1984年のオリンピックサラエボサライエボ)大会への出場を期待する声もあがったが、国際スケート連盟が定める出場年齢制限により、出場は果たせなかった。1985年の全日本選手権で初優勝、以後92年(平成4)まで8連覇を達成。1988年(昭和63)のオリンピック・カルガリー大会では5位入賞、同年の愛知県フィギュアスケート選手権で、女子選手として初のトリプルアクセルを成功させる。翌1989年(平成1)、パリで行われた世界選手権で、日本人として初の金メダルを獲得。1992年オリンピック・アルベールビル大会では銀メダルを獲得した。

 1992年にプロスケーターに転向。1993年の世界プロフィギュア選手権や95年のインターナショナル・プロフィギュア選手権に優勝するなど、プロとしても活躍したが、95年アマチュア復帰。1996年の全日本選手権で九度目の優勝を飾ったのち、同年引退した。1998年のオリンピック・長野大会では聖火台への点火という大役を果たした。2004年には日本人初の世界フィギュアスケート殿堂入りを果たしている。引退後は競技会の解説や、テレビ出演、新聞や雑誌などへの執筆など、フィギュアスケートの普及につとめている。

[編集部]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「伊藤みどり」の意味・わかりやすい解説

伊藤みどり
いとうみどり

[生]1969.8.13. 愛知,名古屋
フィギュアスケート選手。4歳でアイススケートを始め,山田満知子コーチに才能を見出される。小学校5年生時の 1980年に 4種類の 3回転ジャンプ(→ジャンプ)を武器に全日本選手権大会にデビュー。中学校3年生だった 1985年の全日本選手権シングルに初優勝し,1992年に渡部絵美と並ぶ女子最多の 8連覇を達成。1996年,全日本選手権通算 9回優勝の女子最多記録を樹立した。世界選手権大会は,1984年に初出場して 7位。1989年のパリ大会で,女子選手で初めてトリプルアクセルを跳び,日本人初の金メダルを獲得した。オリンピック冬季競技大会には 2度出場し,1988年のカルガリー・オリンピック冬季競技大会で 5位。1992年のアルベールビル・オリンピック冬季競技大会でトリプルアクセルを成功させ,日本のフィギュアスケート史上初めての表彰台となる銀メダルを獲得した。同オリンピック後にアマチュアからの引退を表明し,プロに転向。だが 1998年の長野オリンピック冬季競技大会を目標として,1995年に再びアマチュアへ復帰。1996年の全日本選手権で復活の優勝を遂げたが,故障もあって再び引退した。その後はアイスショーを中心に活動した。2004年アメリカ合衆国フィギュアスケート協会の世界殿堂入りを果たした。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「伊藤みどり」の解説

伊藤みどり いとう-みどり

1969- 昭和後期-平成時代のフィギュアスケート選手。
昭和44年8月13日生まれ。12歳の昭和56年から全日本フリーのシングルで5連勝。60年から全日本選手権8連覇。63年カルガリー冬季五輪で5位。女子ではじめて3回転半ジャンプを成功させ,平成元年世界選手権で日本人初の優勝。4年アルベールビル五輪で銀メダルを獲得し,プロに転向した。7年アマに復帰。8年の全日本選手権で優勝。16年世界フィギュアスケート殿堂入り。愛知県出身。東海学園女子短大卒。

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367日誕生日大事典 「伊藤みどり」の解説

伊藤 みどり (いとう みどり)

生年月日:1969年8月13日
昭和時代;平成時代のフィギュアスケート選手

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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