伯耆一宮経塚(読み)ほうきいちのみやきようづか

日本歴史地名大系 「伯耆一宮経塚」の解説

伯耆一宮経塚
ほうきいちのみやきようづか

[現在地名]東郷町宮内

倭人しとり神社の境内に所在する平安時代の経塚。大正四年(一九一五)盗掘により多くの遺物が出土した。経塚は国指定史跡、遺物は国宝に指定されている。経塚は直径一六メートル、高さ一・六メートルほどの円丘状を呈し、そのほぼ中央の深さ二メートル弱の所に石槨がつくられている。石槨は四方平石で囲み蓋石をしたもので、長さ一・二メートル、幅〇・九メートルほど。石槨内の中央に経筒仏像短刀を納め、その周囲に多くの供養品が置かれていたという。出土した遺物は、鋳銅製経筒一口・金銅観音菩薩立像一体・銅造千手観音菩薩立像一体・銅板線刻弥勒立像一面・草花蝶鳥六稜鏡一面・素文鏡一面・檜扇残片一括・短刀・刀子残欠一括・ガラス玉一括・銅銭二枚・漆器残片一括の多数にのぼり、現在東京国立博物館が保管している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

国指定史跡ガイド 「伯耆一宮経塚」の解説

ほうきいちのみやきょうづか【伯耆一宮経塚】


鳥取県東伯郡湯梨浜町宮内にある経塚。東郷湖東岸、倭文(しとり)神社(伯耆(ほうき)一宮)の東南尾根上に位置する。経塚は円墳状で、直径16m、高さ約1.6m。1915年(大正4)に地元民によって発掘され、長方形の石槨(せっかく)が発見された。石槨は、輝石安山岩の平石で囲み、蓋石で覆った長さ1.2m、幅0.9m、高さ0.5mのもので、内部は荒砂が敷き詰められていた。中からは文字が刻まれた銅製の経筒が見つかり、その銘文から、一宮の僧、京尊が慈尊の出現に備え、自他ともの成仏を祈願して、1103年(康和5)に築いた塚であることが明らかになった。経筒のほかに、金銅観音像、銅板に線刻された弥勒(みろく)像、和鏡、檜扇(ひおうぎ)、短刀、玉類、銅銭などが出土した。経塚は平安時代の埋納供養を考察するうえで貴重なもので、1935年(昭和10)に国の史跡に指定された。出土品は国宝に指定され、寄託を受けた東京国立博物館に保管され、経塚は公開されている。JR山陰本線松崎駅から車で約10分。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

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