コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

佐々木更三 ささきこうぞう

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

佐々木更三
ささきこうぞう

[生]1900.5.25./1901.7.10. 宮城
[没]1985.12.24. 宮城
昭和期の政治家。1928年に日本大学専門部政治科を卒業し,農民運動従事。1937年に仙台市議会議員に当選したが,翌 1938年人民戦線事件で検挙された。1947年に衆議院議員に初当選し,1965~67年は日本社会党委員長を務めた。1976年12月の衆議院議員総選挙で落選,政界の第一線から退いた。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

百科事典マイペディアの解説

佐々木更三【ささきこうぞう】

政治家。宮城県出身。戸籍上は1900年生れ。1928年日本大学卒。第2次大戦前は農民運動を指導して3回投獄。戦後日本社会党結党に参加。1947年衆議院議員に当選,以後連続当選11回。

出典 株式会社日立ソリューションズ・クリエイト百科事典マイペディアについて 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

佐々木更三 ささき-こうぞう

1901-1985 昭和時代後期の政治家。
明治34年7月10日生まれ。労働農民運動にくわわり,昭和13年の人民戦線事件などで3回入獄。戦後,社会党入党。22年より衆議院議員(当選11回)。党内左派のリーダーとして活躍,党総務局長,副委員長をへて,40年委員長となる。昭和60年12月24日死去。84歳。宮城県出身。日大卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典 第2版の解説

ささきこうぞう【佐々木更三】

1901‐85(明治34‐昭和60)
日本社会党指導者。宮城県に生まれ,高等小学校卒業後炭焼きや片倉製糸の臨時人夫をした後,1924年(大正13)に上京し,働きながら日本大学専門部を卒業。この間も労働組合運動に参加し争議検束を経験するが,肺結核になり30年(昭和5)に仙台に帰り,交通労働者の組合結成や農民運動に従事,32年に全国農民組合宮城県連合会書記長となる。その後鈴木茂三郎ら労農派同人と知り,37年には仙台市議会議員に当選するが,38年2月の人民戦線事件で検挙され懲役2年執行猶予5年の判決を受けた。

出典 株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

佐々木更三
ささきこうぞう
(1901―1985)

政治家。宮城県生まれ。高等小学校卒業後、炭焼きとして働きつつ政治運動に参加。のち上京して1928年(昭和3)日本大学専門部政治科卒業。1930年宮城県に戻り全農県連書記長などを経て1937年仙台市議。1938年人民戦線事件で入獄。第二次世界大戦後、総同盟、日農の県連会長を務める一方、社会党結成に参加。1947年(昭和22)衆議院議員に当選(宮城1区)、以来当選を重ねる。1951年の党分裂後は左派社会党に属す。1955年の党統一後、選対委員長、党総務局長を経て1964年党副委員長。佐々木派を率いて同党左派の領袖(りょうしゅう)であった。1965~1967年党委員長を務め、のち党顧問に就任した。[荒 敬]
『『大衆政治家佐々木更三の歩み』(1980・総評資料頒布会)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

世界大百科事典内の佐々木更三の言及

【日本社会党】より

…日本の社会主義政党。明治期のものと戦後から現在までのものの二つがある。(1)1906年(明治39)1月14日西川光二郎らが普通選挙の期成を目的に掲げて結党した日本平民党と同28日に堺利彦らが結党届を出して許された日本社会党が,2月24日合同大会を開いて正式に発足した政党。同党は規約第1条で〈本党は国法の範囲内に於て社会主義を主張す〉とうたい,1901年の社会民主党平民社の議会主義的立場を継承し,結党以前から刊行されていた《光》が機関紙となった。…

※「佐々木更三」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について | 情報

佐々木更三の関連キーワード5月25日成田 知巳成田知巳江田三郎政治家田辺誠

今日のキーワード

阪神園芸

阪神電気鉄道株式会社の子会社で、兵庫県西宮市に本社を置く造園会社。正式名称は「阪神園芸株式会社」。1968年に設立された。環境緑化工事の施工・維持管理、公園植栽などの管理、観葉植物のリースといった業務...

続きを読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android