佐々木更三(読み)ササキ コウゾウ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「佐々木更三」の解説

佐々木 更三
ササキ コウゾウ


肩書
元・衆院議員,元・日本社会党委員長

別名
幼名=弥左衛門

生年月日
明治33年5月25日

出生地
宮城県津山町

学歴
日本大学専門部政治科〔昭和3年〕卒

経歴
三陸沿岸の貧農三男に生まれ、炭焼き人夫、製糸工場臨時雇いなどを経て、24歳で上京。働きながら夜は日大専門部政治科に学び、社会民衆党に入党。以来労働運動、農民運動に身を投じた。戦前は地元・宮城県を根拠地に運動を展開、仙台市議を務めた。戦後日本社会党結成に参加。昭和22年宮城県から衆院議員に初当選し、以来連続11回当選。党内では鈴木茂三郎とともに左派路線を確立、33年の左右社会党の合同ではその推進役として活躍。40年委員長に就任し、約2年間務めた。ズーズー弁飾り気のない人柄で庶民型委員長として人気を博した。また親中国派のリーダーでもあり、日中国交正常化に大きな足跡を残した。51年の落選を機に53年政界引退。著書に「炭焼きから日中のかけ橋まで」「社会主義的・的政権」など。

没年月日
昭和60年12月24日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「佐々木更三」の解説

佐々木 更三
ササキ コウゾウ

昭和期の政治家 元・衆院議員;元・日本社会党委員長。



生年
明治33(1900)年5月25日

没年
昭和60(1985)年12月24日

出生地
宮城県津山町

別名
幼名=弥左衛門

学歴〔年〕
日本大学専門部政治科〔昭和3年〕卒

経歴
三陸沿岸の貧農の三男に生まれ、炭焼き人夫、製糸工場の臨時雇いなどを経て、24歳で上京。働きながら夜は日大専門部政治科に学び、社会民衆党に入党。以来労働運動、農民運動に身を投じた。戦前は地元・宮城県を根拠地に運動を展開、仙台市議を務めた。戦後日本社会党結成に参加。昭和22年宮城県から衆院議員に初当選し、以来連続11回当選。党内では鈴木茂三郎とともに左派路線を確立、33年の左右社会党の合同ではその推進役として活躍。40年委員長に就任し、約2年間務めた。ズーズー弁と飾り気のない人柄で庶民型委員長として人気を博した。また親中国派のリーダーでもあり、日中国交正常化に大きな足跡を残した。51年の落選を機に53年政界を引退。著書に「炭焼きから日中のかけ橋まで」「社会主義的・的政権」など。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「佐々木更三」の意味・わかりやすい解説

佐々木更三
ささきこうぞう
(1901―1985)

政治家。宮城県生まれ。高等小学校卒業後、炭焼きとして働きつつ政治運動に参加。のち上京して1928年(昭和3)日本大学専門部政治科卒業。1930年宮城県に戻り全農県連書記長などを経て1937年仙台市議。1938年人民戦線事件入獄。第二次世界大戦後、総同盟、日農の県連会長を務める一方、社会党結成に参加。1947年(昭和22)衆議院議員に当選(宮城1区)、以来当選を重ねる。1951年の党分裂後は左派社会党に属す。1955年の党統一後、選対委員長、党総務局長を経て1964年党副委員長。佐々木派を率いて同党左派の領袖(りょうしゅう)であった。1965~1967年党委員長を務め、のち党顧問に就任した。

[荒 敬]

『『大衆政治家佐々木更三の歩み』(1980・総評資料頒布会)』


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百科事典マイペディア 「佐々木更三」の意味・わかりやすい解説

佐々木更三【ささきこうぞう】

政治家。宮城県出身。戸籍上は1900年生れ。1928年日本大学卒。第2次大戦前は農民運動を指導して3回投獄。戦後日本社会党結党に参加。1947年衆議院議員に当選,以後連続当選11回。党内左派の中心人物だが,左右対立の調整役でもあった。江田三郎の構造改革路線には強く反発,江田とは書記長・委員長ポストを争った。1965年から1967年まで委員長。中国首脳と親交があり,国交正常化に貢献。1976年落選を機に政界を引退。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「佐々木更三」の意味・わかりやすい解説

佐々木更三
ささきこうぞう

[生]1900.5.25./1901.7.10. 宮城
[没]1985.12.24. 宮城
昭和期の政治家。1928年に日本大学専門部政治科を卒業し,農民運動に従事。1937年に仙台市議会議員に当選したが,翌 1938年人民戦線事件で検挙された。1947年に衆議院議員に初当選し,1965~67年は日本社会党の委員長を務めた。1976年12月の衆議院議員総選挙で落選,政界の第一線から退いた。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「佐々木更三」の解説

佐々木更三 ささき-こうぞう

1901-1985 昭和時代後期の政治家。
明治34年7月10日生まれ。労働農民運動にくわわり,昭和13年の人民戦線事件などで3回入獄。戦後,社会党に入党。22年より衆議院議員(当選11回)。党内左派のリーダーとして活躍,党総務局長,副委員長をへて,40年委員長となる。昭和60年12月24日死去。84歳。宮城県出身。日大卒。

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367日誕生日大事典 「佐々木更三」の解説

佐々木 更三 (ささき こうぞう)

生年月日:1900年5月25日
昭和時代の政治家。衆議院議員;日本社会党委員長
1985年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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