保田与重郎(読み)ヤスダヨジュウロウ

デジタル大辞泉 「保田与重郎」の意味・読み・例文・類語

やすだ‐よじゅうろう〔‐ヨヂユウラウ〕【保田与重郎】

[1910~1981]評論家奈良の生まれ。昭和10年(1935)文芸雑誌日本浪曼派」を創刊伝統主義近代文明批判を展開した。評論集「日本の橋」など。

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精選版 日本国語大辞典 「保田与重郎」の意味・読み・例文・類語

やすだ‐よじゅうろう【保田与重郎】

  1. 評論家。奈良県出身。東京帝国大学卒。昭和一〇年(一九三五亀井勝一郎らと「日本浪曼派」を創刊。反近代主義・日本回帰を標榜し、昭和一〇年代の思想混迷期に生きる青年に大きな影響を与えた。戦後公職追放に処せられたが、昭和二四年、雑誌「祖国」を創刊。「日本の橋」「後鳥羽院」「近代の終焉」「現代畸人伝」などの著がある。明治四三~昭和五六年(一九一〇‐八一

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「保田与重郎」の意味・わかりやすい解説

保田与重郎
やすだよじゅうろう
(1910―1981)

文芸評論家。明治43年4月15日奈良県生まれ。東京帝国大学美学科卒業。大阪高校時代は左翼思想の影響のうかがえる短歌や評論を同人誌に発表したが、大学に入って高校時代の仲間と出した『コギト』(1932)には「私らはこの国の省みられぬ古典を愛する」と宣して日本の古典論を寄稿した。ついで亀井勝一郎(かめいかついちろう)らと『日本浪曼(ろうまん)派』(1935)を創刊して話題になり、最初の評論集『日本の橋』(1936)が池谷(いけたに)信三郎賞を得て注目されたが、しだいに民族主義と反近代主義の立場を明確にし、『戴冠(たいかん)詩人の御一人者』(1938)、『後鳥羽院(ごとばいん)』(1939)、『民族的優越感』(1941)、『近代の終焉(しゅうえん)』(1941)などを著し、第二次世界大戦下の青年に多大な影響を与えた。戦後は郷里に帰り『祖国』(1949)を発刊、厳しい指弾のなかで姿勢を変えずに言論活動を行い、『現代畸人(きじん)伝』(1963)で論壇に復帰し、『日本浪曼派』評価の議論を喚起した。昭和56年10月4日没。

[都築久義]

『『保田与重郎選集』全六巻(1971~72・講談社)』『橋川文三著『日本浪曼派批判序説』(1960・未来社)』『神谷忠孝著『保田与重郎論』(1979・雁書館)』

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改訂新版 世界大百科事典 「保田与重郎」の意味・わかりやすい解説

保田与重郎 (やすだよじゅうろう)
生没年:1910-81(明治43-昭和56)

文芸評論家。奈良県の生れ。大阪高校をへて東大美学科卒業。1932年大阪高校出身者たちと《コギト》を創刊,ドイツ・ロマン派の影響下に日本古典の精神の継承を目指す。また,《現実》同人となって,亀井勝一郎,中谷孝雄と知り,神保光太郎,中島栄次郎,緒方隆士を誘って,35年《日本浪曼派》を創刊,昭和10年代の指導的評論家になる。大和桜井に生れ,日本の故郷を故郷としたと自称する保田は,幼少時から親しんだ日本古典の教養に,ドイツ・ロマン派から学んだ〈イロニー〉の方法を接着させ,独自の晦渋(かいじゆう)な文体で〈敗北の美学〉を謳(うた)いあげ,プロレタリア文学運動壊滅後の虚無的な時代を生きる青年層を魅了した。《日本の橋》《英雄と詩人》(ともに1936),《戴冠詩人の御一人者》(1938),《後鳥羽院》(1939)が代表作だが,彼の復古主義はしだいに時流と重なり,戦後〈戦場の美学の高唱者〉として断罪される。戦後の主著に《現代畸人伝》(1964)がある。
執筆者:

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20世紀日本人名事典 「保田与重郎」の解説

保田 与重郎
ヤスダ ヨジュウロウ

昭和期の作家,文芸評論家



生年
明治43(1910)年4月15日

没年
昭和56(1981)年10月4日

出生地
奈良県磯城郡桜井町

学歴〔年〕
東京帝国大学美学科〔昭和9年〕卒

主な受賞名〔年〕
池谷信三郎賞(第1回)〔昭和11年〕「日本の橋」,透谷文学賞(第2回)〔昭和13年〕「戴冠詩人の御一人者」

経歴
東京帝大在学中に同人誌「コギト」を創刊して文筆活動に入り、昭和10年には亀井勝一郎らと雑誌「日本浪曼派」を創刊、反近代主義的、審美主義的な評論を展開したが、このころの著作に「日本の橋」「戴冠詩人の御一人者」「後鳥羽院」「万葉集の精神」などがあり、戦時中も日本浪曼派の総帥として若者たちに大きな影響を与えた。戦後は、戦時下の思想を代弁したとして追放され、雑誌「祖国」に拠り、無署名で多くの言論をなす。30年「新論」を創刊。解除後文壇に復帰はしたが、中央に出ることはなく、京都を中心に「現代畸人伝」「日本の美術史」「日本浪曼派の時代」などを黙々と書きつづけた。没後「保田与重郎全集」(全40巻・別巻5 講談社)が刊行された。

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百科事典マイペディア 「保田与重郎」の意味・わかりやすい解説

保田与重郎【やすだよじゅうろう】

評論家。奈良県生れ。東大美学科卒。ドイツ・ロマン派の影響下に雑誌《コギト》を創刊。続いて神保光太郎,亀井勝一郎らと《日本浪曼派》を創刊,同派の代表的論客として活動した。《日本の橋》《戴冠詩人の御一人者》《近代の終焉(しゅうえん)》《後鳥羽院》などのほか,第2次大戦後に《現代畸人伝》がある。戦後は公職追放に処せられた。戦争中,多くの青年がその独特の晦渋(かいじゅう)な文章に魅せられたことの意味は,戦後繰り返し問い返されてきている。→日本浪曼派
→関連項目伊東静雄檀一雄

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「保田与重郎」の意味・わかりやすい解説

保田与重郎
やすだよじゅうろう

[生]1910.4.15. 奈良
[没]1981.10.4. 京都
評論家。 1934年東京大学美学科卒業。ヘルダーリーン,ノバーリスなどドイツロマン派の影響を受けて文芸雑誌『コギト』を創刊 (1932) ,日本古典美の高揚に努め,さらに 35年には神保光太郎,亀井勝一郎らと創刊した『日本浪曼派』に拠って,死の美学を説いて戦時下における民族主義文学の主柱的役割をになった。主著『日本の橋』 (36) ,『戴冠詩人の御一人者』 (38) ,『近代の終焉』 (41) ,『文明一新論』 (43) など数多くの著作を発表したが,第2次世界大戦後は公職追放を受けて沈黙し,『現代畸人伝』 (63~64) で再登場した。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「保田与重郎」の解説

保田与重郎 やすだ-よじゅうろう

1910-1981 昭和時代の文芸評論家。
明治43年4月15日生まれ。昭和10年亀井勝一郎らと「日本浪曼(ろうまん)派」を創刊。民族主義と反近代主義にたった評論で第二次大戦下の青年層に影響をあたえる。24年「祖国」を発刊,終生その思想をつらぬいた。昭和56年10月4日死去。71歳。奈良県出身。東京帝大卒。著作に「日本の橋」「近代の終焉(しゅうえん)」「現代畸人(きじん)伝」など。
【格言など】紙無ければ,土に書かん。空にも書かん(「日本に祈る」)

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「保田与重郎」の解説

保田与重郎
やすだよじゅうろう

1910.4.15~81.10.4

昭和期の評論家。奈良県出身。東大在学中「コギト」を創刊,1935年(昭和10)「日本浪曼派」を創刊し評論に携わる。ロマン的イロニーによる伝統美の発見は,36年の「日本の橋」などに達成をみる。近代批判・アジア主義の発言は,時局切迫のなかで政治性をおび,影響力をもつこととなった。第2次大戦後は公職追放となるが思想の一貫性を守り,伝統美のなかに生きた。

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367日誕生日大事典 「保田与重郎」の解説

保田 与重郎 (やすだ よじゅうろう)

生年月日:1910年4月15日
昭和時代の文芸評論家
1981年没

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世界大百科事典(旧版)内の保田与重郎の言及

【コギト】より

…編集兼発行人は肥下恒夫(ひげつねお)。保田与重郎(やすだよじゆうろう),田中克己(かつみ),肥下,伊藤佐喜雄,伊東静雄,小高根(おだかね)二郎,中島栄次郎らがおもな同人。大阪高校出身者が主体。…

【日本の橋】より

保田与重郎の評論。1936年(昭和11)10月《文学界》に発表。…

※「保田与重郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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