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亀井勝一郎 かめい かついちろう

美術人名辞典の解説

亀井勝一郎

文芸評論家。北海道函館生。東大美学科中退。旧制山形高校時代にマルクス主義に触れ、労働運動などに奔走するが、のち文芸評論家として再出発。『プロレタリア文学』『現実』などに論文を発表、また『日本浪漫派』を創刊。以後日本の伝統の中に自己と民族の再生の道を求め、古典・仏教美術に深い関心を寄せた。著に『大和古寺風物誌』『日本人の精神史研究』など。読売文学賞・芸術院賞・菊池寛賞受賞。芸術院会員。昭和41年(1966)歿、59才。

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デジタル大辞泉の解説

かめい‐かついちろう〔かめゐかつイチラウ〕【亀井勝一郎】

[1907~1966]評論家。北海道の生まれ。初め、プロレタリア文学の理論家として活躍、のち、転向して日本浪曼派に属し、仏教思想・日本古典に傾倒、文明批評で活躍した。著「大和古寺風物誌」「わが精神の遍歴」「現代人の研究」など。

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百科事典マイペディアの解説

亀井勝一郎【かめいかついちろう】

評論家。函館生れ。東大美学中退。1926年,中野重治らを知り〈新人会〉入会,1928年に検挙投獄されるが,出獄後プロレタリア文学運動の論客として活躍を始める。しかし1935年保田与重郎らと《日本浪曼派》を創刊,また《文学界》同人となるなど思想的遍歴を続ける。
→関連項目遠山茂樹保田与重郎

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

亀井勝一郎 かめい-かついちろう

1907-1966 昭和時代の評論家。
明治40年2月6日生まれ。新人会に参加したが,昭和3年三・一五事件直後に検挙され,獄中転向。10年保田(やすだ)与重郎らと「日本浪曼派」を創刊,ついで「文学界」同人となる。古典や仏教美術に関心をふかめ,「大和古寺風物誌」などをかく。戦後は「日本人の精神史研究」をライフワークとした。41年芸術院会員。昭和41年11月14日死去。59歳。北海道出身。東京帝大中退。
【格言など】無常の観念は,人間の生の驚くべき不安定に対する開眼より生ずる(「信仰について」)

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世界大百科事典 第2版の解説

かめいかついちろう【亀井勝一郎】

1907‐66(明治40‐昭和41)
評論家。北海道生れ。当時,父喜一郎は函館貯蓄銀行の支配人であった。1923年旧制山形高に入学,ドイツ語を通してゲーテハイネの作品に親しみ,また,共産主義思想に関心を寄せる。26年東大に入学,中野重治らを知り新人会会員,共産青年同盟員として活躍,28年検挙投獄される。2年後出獄,日本プロレタリア作家同盟(ナルプ)に所属して評論家として再出発するが,同盟解散後,同人雑誌《現実》をへて,35年保田与重郎らと《日本浪曼(ろうまん)派》を創刊,転向以後の自我再生の道を模索する。

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大辞林 第三版の解説

かめいかついちろう【亀井勝一郎】

1907~1966) 評論家。函館生まれ。東大中退。日本の伝統や美意識を幅広く追究。著「転形期の文学」「大和古寺風物誌」「我が精神の遍歴」「日本人の精神史研究」など。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

亀井勝一郎
かめいかついちろう

[生]1907.2.6. 函館
[没]1966.11.14. 東京
評論家。東京大学美学科を中退した 1928年に共産青年同盟員だったため投獄され,転向しての保釈 (1930) 後もプロレタリア作家同盟に参加。同盟解散後の左翼運動退潮期に自己内面の真実を問う処女評論集『転形期の文学』 (34) で頭角を現すとともに唯物的思潮と決別した。 35年保田 (やすだ) 与重郎と『日本浪曼派』を創刊,同誌廃刊後は小林秀雄らの『文学界』に参加した。相前後して『大和古寺風物誌』 (43) などで貴族的古典美への沈潜とその再興を目指し,同時に仏教への関心も深めた。第2次世界大戦後も『現代人の遍歴』 (48) ,『日本人の精神史研究』 (59~66) などを発表し,宗教的立場からの文明批評で多くの読者を得た。 64年日本芸術院賞受賞。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

亀井勝一郎
かめいかついちろう
(1907―1966)

評論家。明治40年2月6日、北海道函館(はこだて)市生まれ。東京帝国大学美学科入学後すぐマルクス主義芸術研究会に入り、新人会会員となって労働運動に参加し、1928年(昭和3)大学を自主的に退学。三・一五事件のあと治安維持法違反で検挙され、30年獄中で発病し、転向して出所。32年プロレタリア作家同盟に加わって評論家として活躍。第一評論集『転形期の文学』(1934)刊行後は左翼文学から退き、保田与重郎(やすだよじゅうろう)らと『日本浪曼(ろうまん)派』(1935)を創刊し、日本の古美術、古典、仏教などに関心を深め、『大和(やまと)古寺風物誌』(1943)にまとめた。『文学界』同人としても活躍し、河上徹太郎と「近代の超克」座談会を企画した。
 第二次世界大戦後は『我が精神の遍歴』(1948)をはじめとして、自己を通して日本人の精神史を探る仕事に着手し、社会的には日中国交回復にも尽力した。未完に終わった『日本人の精神史研究』(1959~66)がライフワーク。1965年(昭和40)芸術院会員となる。昭和41年11月14日没。[神谷忠孝]
『『亀井勝一郎全集』21巻・補巻3(1971~75・講談社) ▽武田友寿著『遍歴の求道者亀井勝一郎』(1978・講談社)』

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