昭和期の文芸評論家
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
評論家。北海道生れ。当時,父喜一郎は函館貯蓄銀行の支配人であった。1923年旧制山形高に入学,ドイツ語を通してゲーテ,ハイネの作品に親しみ,また,共産主義思想に関心を寄せる。26年東大に入学,中野重治らを知り新人会会員,共産青年同盟員として活躍,28年検挙投獄される。2年後出獄,日本プロレタリア作家同盟(ナルプ)に所属して評論家として再出発するが,同盟解散後,同人雑誌《現実》をへて,35年保田与重郎らと《日本浪曼(ろうまん)派》を創刊,転向以後の自我再生の道を模索する。《転形期の文学》(1934)から《人間教育》(1937)にいたる思索の過程に転向者としての苦悩が如実にうかがえるが,やがてそれが宗教的回心となり,43年《大和古寺風物誌》を刊行。仏教への関心,日本の古典への傾斜は,戦争協力の態度を生んだが,日本的なものの模索は戦後も続けられ,《現代人の研究》をへてライフ・ワーク《日本人の精神史研究》(1959-66)の業績を生んだ。
執筆者:大久保 典夫
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評論家。明治40年2月6日、北海道函館(はこだて)市生まれ。東京帝国大学美学科入学後すぐマルクス主義芸術研究会に入り、新人会会員となって労働運動に参加し、1928年(昭和3)大学を自主的に退学。三・一五事件のあと治安維持法違反で検挙され、30年獄中で発病し、転向して出所。32年プロレタリア作家同盟に加わって評論家として活躍。第一評論集『転形期の文学』(1934)刊行後は左翼文学から退き、保田与重郎(やすだよじゅうろう)らと『日本浪曼(ろうまん)派』(1935)を創刊し、日本の古美術、古典、仏教などに関心を深め、『大和(やまと)古寺風物誌』(1943)にまとめた。『文学界』同人としても活躍し、河上徹太郎と「近代の超克」座談会を企画した。
第二次世界大戦後は『我が精神の遍歴』(1948)をはじめとして、自己を通して日本人の精神史を探る仕事に着手し、社会的には日中国交回復にも尽力した。未完に終わった『日本人の精神史研究』(1959~66)がライフワーク。1965年(昭和40)芸術院会員となる。昭和41年11月14日没。
[神谷忠孝]
『『亀井勝一郎全集』21巻・補巻3(1971~75・講談社)』▽『武田友寿著『遍歴の求道者亀井勝一郎』(1978・講談社)』
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1907.2.6~66.11.14
昭和期の評論家。北海道出身。東大中退。早くから共産主義思想にめざめ,プロレタリア文学運動で評論活動にたずさわる。1934年(昭和9)のナルプ(日本プロレタリア作家同盟)解散後,雑誌「日本浪曼派」の同人となり,日本の伝統・古典への傾斜を深め,また仏教に強い関心を寄せた。第2次大戦後は日本近代の歴史と日本人のあり方の検討にとりくんだ。晩年の著作に「日本人の精神史研究」がある。「亀井勝一郎全集」全21巻・補巻3。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
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