檀一雄(読み)ダンカズオ

デジタル大辞泉 「檀一雄」の意味・読み・例文・類語

だん‐かずお〔‐かずを〕【檀一雄】

[1912~1976]小説家山梨の生まれ。「日本浪漫派」に参加。奔放な生き方を貫き、無頼派と称された。「長恨歌」「真説石川五右衛門」で直木賞受賞。他に「リツ子・その愛」「リツ子・その死」「火宅の人」など。

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精選版 日本国語大辞典 「檀一雄」の意味・読み・例文・類語

だん‐かずお【檀一雄】

  1. 小説家。山梨県生まれ。東京帝国大学卒。処女作此家の性格」で認められ、その縁で太宰治らと知りあい、佐藤春夫師事。「夕張胡亭塾景観」で芥川賞候補となるも応召。戦後、妻の死を描いた連作「リツ子・その愛」「リツ子・その死」で作家的地位を確立。「真説石川五右衛門」で直木賞受賞。中間小説もよくし、料理や食文化についての著書も多い。代表作に「花筐(はながたみ)」「火宅の人」など。明治四五~昭和五一年(一九一二‐七六

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「檀一雄」の意味・わかりやすい解説

檀一雄
だんかずお
(1912―1976)

小説家。明治45年2月3日、父の任地山梨県で生まれる。東京帝国大学経済学部卒業。1933年(昭和8)『此家(このいえ)の性格』を発表、尾崎一雄らに認められ、太宰治(だざいおさむ)や坂口安吾(あんご)らを知る。また佐藤春夫に師事。35年『日本浪曼(ろうまん)派』に発表した『夕張胡亭塾(ゆうばりこていじゅく)景観』が芥川(あくたがわ)賞候補となる。37年青春小説『花筐(はながたみ)』を、39年詩集『虚空象嵌(こくうぞうがん)』を刊行。44年から翌年にかけ報道班員として中国大陸を転々として帰国後書いたのが、妻の死を描いた清冽(せいれつ)な秀作『リツ子・その愛』『リツ子・その死』(1948~50)である。51年(昭和26)、『長恨歌』(1950)、『真説・石川五右衛門(ごえもん)』(1950~51)で直木賞を受賞、流行作家として活躍。『ペンギン記』(1952)、『夕日と拳銃(けんじゅう)』(1955~56)、『光る道』(1956)、『わが青春の秘密』(1960)、『青い雲』(1969~70)、『火宅(かたく)の人』(1955~75)などがある。彼は「天然の旅情」に忠実に奔放な生き方を貫いたため、無頼と称されるが、その根源にあるのは詩心であった。旅や食べ物に関する著作も多い。昭和51年1月2日没。

[沖山明徳]

『『檀一雄全集』全八巻(1977~78・新潮社)』『『檀一雄全詩集』(1976・皆美社)』『『檀一雄歌集』(1978・皆美社)』『『檀一雄句集』(1979・皆美社)』

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20世紀日本人名事典 「檀一雄」の解説

檀 一雄
ダン カズオ

昭和期の小説家



生年
明治45(1912)年2月3日

没年
昭和51(1976)年1月2日

出生地
山梨県南都留郡谷村

出身地
福岡県山門郡沖ノ端村(本籍 現・柳川市)

学歴〔年〕
東京帝国大学経済学部〔昭和10年〕卒

主な受賞名〔年〕
野間文芸奨励賞(第4回)〔昭和19年〕「天明」,直木賞(第24回 昭25年度下期)〔昭和26年〕「長恨歌」「真説石川五右衛門」,読売文学賞(第27回)〔昭和50年〕「火宅の人」,日本文学大賞(第8回)〔昭和51年〕「火宅の人」

経歴
在学中より佐藤春夫に師事し、「鷭」「青い花」を経て「日本浪曼派」に参加。昭和10年「夕張胡亭塾景観」で第2回芥川賞の候補となる。昭和10年代は中国大陸を放浪し、応召されても中国を歩いた。12年「花筺」を刊行。19年「天明」で野間文芸奨励賞を受賞。25年病死した愛妻のことを書いた「リツ子・その愛」「リツ子・その死」を刊行。26年「長恨歌」「真説石川五右衛門」で直木賞を受賞し、旺盛な作家活動に入る。また、43年には「ポリタイア」を創刊、編集長となる。50年刊行の長編小説「火宅の人」は最後の作品となったが、読売文学賞および日本文学大賞を受賞した。他の作品に「ペンギン記」、「夕日と拳銃」、詩集「虚空象嵌」「檀一雄詩集」「檀一雄全詩集」があり、「檀一雄全集」(全8巻)も刊行されている。

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百科事典マイペディア 「檀一雄」の意味・わかりやすい解説

檀一雄【だんかずお】

小説家,詩人。山梨県生れ。東大経済学部卒。在学中に発表した《此家の性格》で文壇に登場,太宰治坂口安吾などを知る。また保田与重郎らの〈日本浪曼派〉に参加。《花筐》刊行後応召。戦後も中国を放浪した。その間の体験を綴った《リツ子・その愛》《リツ子・その死》(1950年)で復帰。《長恨歌》《真説石川五右衛門》で直木賞を受賞した。無頼の体験を描いた作品で知られ,執筆20年にわたる大作《火宅の人》は日本文学大賞を受賞した。詩集に《虚空象嵌》がある。
→関連項目深作欣二無頼派森敦

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改訂新版 世界大百科事典 「檀一雄」の意味・わかりやすい解説

檀一雄 (だんかずお)
生没年:1912-76(大正1-昭和51)

小説家。山梨県の生れ。東大経済学部卒業。1933年《新人》に《此家(このいえ)の性格》を発表,これを機縁に,尾崎一雄,太宰治らと知り,また佐藤春夫の門弟となる。35年,保田与重郎らの《日本浪曼派》に参加,《花筐(はながたみ)》《衰運》を発表,《夕張胡亭塾(ゆうばりこていじゆく)景観》(1935)は第2回芥川賞候補となる。以後,軍隊生活と満州,中国放浪の旅をつづけるが,44年《天明》で野間文芸奨励賞を受賞。戦後しばらく沈黙し,自己の従軍体験と亡妻遺児との生活体験を描いた《リツ子・その愛》《リツ子・その死》(ともに1950)で文壇に復帰。51年《長恨歌》《真説石川五右衛門》で直木賞を受賞。また,女優恵子との情事のてんまつを描いた晩年の大作《火宅(かたく)の人》(1975)は秀作である。
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「檀一雄」の解説

檀一雄 だん-かずお

1912-1976 昭和時代の小説家。
明治45年2月3日生まれ。東京帝大在学中に太宰治(だざい-おさむ)らとまじわり,佐藤春夫に師事。昭和12年応召し,のち中国東北部を放浪。戦後,妻の死をえがいた「リツ子・その愛」「リツ子・その死」が好評を博し,26年「長恨歌」「石川五右衛門」で直木賞。50年「火宅の人」を完成させ,昭和51年1月2日死去。63歳。没後に同作品は読売文学賞,日本文学大賞をうけた。山梨県出身。東京帝大卒。
【格言など】人生には無意味な重複が一度はある(「元帥」)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「檀一雄」の意味・わかりやすい解説

檀一雄
だんかずお

[生]1912.2.3. 山梨,谷村
[没]1976.1.2. 福岡
小説家。東京大学経済学部在学中に太宰治らを知り佐藤春夫に師事,芥川賞候補となった『夕張胡亭塾景観』 (1935) などを収めた処女作品集『花筐 (はながたみ) 』 (37) を刊行。約 10年間の沈黙ののち『リツ子・その愛』 (50) ,『リツ子・その死』 (50) で文壇に復帰,『真説石川五右衛門』 (50~51) で直木賞を受賞した。ほかに『ペンギン記』 (52) ,『火宅の人』 (61~75) などがある。

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367日誕生日大事典 「檀一雄」の解説

檀 一雄 (だん かずお)

生年月日:1912年2月3日
昭和時代の小説家
1976年没

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