日本大百科全書(ニッポニカ) 「偽れる盛装」の意味・わかりやすい解説
偽れる盛装
いつわれるせいそう
日本映画。1951年(昭和26)作品。新藤兼人(しんどうかねと)と近代映画協会を設立した吉村公三郎(よしむらこうざぶろう)監督は、新藤のオリジナル脚本『肉体の盛装』を企画するが松竹に断られ、東宝で途中まで撮るも労組員の大量解雇で中止となった。結局、大映専務の川口松太郎の海外出張中に改題して完成する。溝口健二(みぞぐちけんじ)監督の『祇園の姉妹(きょうだい)』(1936)の戦後版。京都で置屋を営む母きく(滝花久子(たきはなひさこ)、1906―1985)のもとには、やり手芸者の長女君蝶(京マチ子、1924―2019)、事務員の妹妙子(藤田泰子(ふじたやすこ)、1926― )がいる。君蝶はなじみ客の山下(菅井一郎(すがいいちろう)、1907―1973)を捨て、小料理屋の伊勢浜(進藤英太郎(しんどうえいたろう)、1899―1977)を籠絡(ろうらく)するが、山下は激昂(げっこう)して君蝶を出刃包丁で追う。かつて君蝶に入れあげ、いまは屋台を開いている笠間(殿山泰司(とのやまたいじ)、1915―1989)と出会ったとき、彼女は人情をみせるのだが、山下の逆上ぶりは、君蝶の打算の非情さを際だたせる。妙子とその恋人孝次(小林桂樹(こばやしけいじゅ)、1923―2010)は、君蝶と母の住む世界を離れ、東京へと旅立つ。古い都への愛惜と新たな世界への憧れをみせる吉村演出はこの作品でも快調である。キネマ旬報ベスト・テン第3位。
[坂尻昌平]