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奉天派 ほうてんはFeng-tian-pai

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

奉天派
ほうてんは
Feng-tian-pai

張作霖張学良父子に率いられた中国の軍閥の一派。東北地方 (旧満州) の奉天省を本拠としたのでこの名があり,東北系とも呼ばれる。 1918年張作霖は日本の支持のもとに東三省巡閲使となり,20年頃には東北全域を支配下に収め,奉天派を形成した。 22年と 24年に直隷派との間で奉直戦争を戦い,22年の第1次奉直戦争では敗れたが,24年の第2次奉直戦争では勝利を得て,28年までの全盛期には北京政府を支配下においた。張作霖の勢力の育成強化に努めてきた日本政府,軍部は,張を日本の完全な傀儡 (かいらい) に仕立て上げようとしたが,28年日本の関東軍の一部勢力は張を見限り,張を謀略により爆殺した。奉天派の後継者張学良は国民政府と妥協し,29年中東鉄道回収をめぐって対ソ戦を行なったが敗北。 31年満州事変勃発により日本軍に東北を軍事占領されてそこを追われた。以後,蒋介石により紅軍との戦いに向わせられたが,郷里の東北の地を追われた将兵の抗日意識の高まりが張学良を内戦停止,一致抗日の立場をとるにいたらせ,36年 12月の西安事件を発生させた。

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百科事典マイペディアの解説

奉天派【ほうてんは】

北洋軍閥

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大辞林 第三版の解説

ほうてんは【奉天派】

中国、民国時代の軍閥の一。張作霖・張学良父子を首領とし、奉天を中心に東北(満州)に地盤を築いた。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

奉天派
ほうてんは

張作霖(ちょうさくりん/チャンツオリン)を頭とする中国の軍閥。清(しん)末、東三省(清から中華民国にかけて、山海関以東の、遼寧(りょうねい/リヤオニン)、吉林(きつりん/チーリン)、黒竜江の三省からなる、いわゆる「満州」の地)で兵権を握った張作霖は、南満州鉄道株式会社および日本軍の勢力と結びつつ、反対派を退け、東三省の産業、金融、交通などの巨大な利権を有する独占的軍閥となった。日本の後押しを受けながらも、巧みに独自の勢力を伸長し、二度にわたる直隷派との戦争(奉直戦争)で山海関以南に進出、一時、奉天派は中国政界に覇を唱えたが、蒋介石(しょうかいせき/チヤンチエシー)の北伐軍に追われ、東三省の故地に帰ろうとしたところ、張作霖は日本軍によって爆死させられた。息子の張学良(ちょうがくりょう/チャンシュエリヤン)は、日本勢力に養われた部下の楊宇霆(よううてい)を殺し、国民政府支持を表明、日本と対立したが、満州事変による日本軍の全面侵略で軍閥としては解体した。[安藤彦太郎]

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世界大百科事典内の奉天派の言及

【軍閥】より

…中間の福建,湖南,四川,陝西等の地方は小軍閥の割拠する緩衝地帯であると同時に,南北両勢力の争奪の地でもあった。北京の政権は,日本の手先の安徽派がまずにぎり,ついで英米のおす直隷派にかわり,さらに安徽派から分化した張作霖の奉天派にうつるが,1928年,国民革命軍の北伐が勝利して北洋軍閥支配は終焉した。同年末の張学良の〈易幟(えきし)〉によって蔣介石による全国統一が完成するが,それは国民党の新軍閥化とむすびついていたのであって,南京国民政府は非北洋系軍閥の寄合所帯となったのである。…

※「奉天派」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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